もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

9 044 重松清「口笛吹いて」(文春文庫:2001)感想3+

2020年05月06日 00時23分45秒 | 一日一冊読書開始
5月5日(火):  

358ページ        所要時間5:20          ブックオフ105円

著者38歳(1963生まれ)。岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒。出版社勤務を経て、91年『ビフォア・ラン』でデビュー。97年発表の『ナイフ』は現代の家族が抱える問題を鮮やかに描き出し、坪田譲治文学賞を受賞する。その後も現代社会をテーマに次々と意欲作を発表、99年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞を受賞

俺は重松清が好きだと、思い込んでいた。他人にも機会があれば、そう言っている。しかし、作品に出会うためにはタイミングというものがあるのかもしれない。重松清の作品集の中には、古典として残るものが多数ある。しかし、そうではないものも当然だがある。重松作品の一つの特徴は、作者の年齢と並走する形で書かれるというのがある。そのため、ウソが無くてリアルな作品世界が展開される。

しかし、今回の作品集は、著者自身が38歳と若い。若いのに「三十五歳ですね、なにか体が変わっちゃうんですよ。若い頃は骨とか筋肉とか、体ぜんたいが内側に向かってギュッとまとまってたのに、だんだんそれがばらけていくっていうか、隙間があくっていうか……鬆(す)が入るっていうのかな……」(330ページ)と初めて感じる老いを大げさにとらえ過ぎているのが、読んでいて違和感を覚えてしまった。この感覚のずれが、5編すべての背景にあったのか?、読んでいて「俺はこんな話、好きじゃない。こんな話を読むために時間を割いて読んでいるのではない。」という思いが募った。丁寧に描かれているのは認めるが、「何かずれている」という思いが払しょくできなかった。

ある意味、この作品集とは不幸な出会いだった。この本を読み直すことはもうないと思う。嘉門達夫さんが巻末に書いた解説は良かった。「重松さんの作品の登場人物は誰も悪くない。みんな普通の人で、それぞれが問題を抱えている。/そして問題は解決しない。問題を抱えて生きて来て、新たな問題に直面し、何とか乗り越えるも、また新たな問題に向かって生きてゆく。/夢と現実。そううまくはいかない人生。/それらを肯定する優しさが重松作品には詰まっている。」(356ぺージ)は、その通りだと思う。

感想3+も作品の評価ではなく、今の俺の思いとの相性である。若さには未来(可能性)という救いが自ずと含まれている。年寄りにはそれがない代わりに物語りの中に救済があってほしい。読んでいて楽しい気分を与えてほしいのだ。

【目次】口笛吹いて/タンタン/かたつむり疾走/春になれば/グッド・ラック

【内容情報】偶然再会した少年の頃のヒーローは、その後、負けつづけの人生を歩んでいた。もう一度、口笛の吹き方を教えてくれたあの頃のように胸を張って笑って欲しいー。家庭に職場に重荷を抱え、もう若くない日々を必死に生きる人々を描く五篇を収録。さり気ない日常の中に人生の苦さをにじませる著者会心の作品集。
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