もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

72冊目 玄侑宗久「ベラボーな生活 禅道場の「非常識」な日々」(朝日新聞社;2006)  評価3

2011年11月15日 02時45分20秒 | 一日一冊読書開始
11月14日(月):

160ページ  所要時間2:30

著者は福島県の禅寺の住職の跡取り息子。19年前の27歳~30歳まで三年間の雲水修行の体験エッセイ。舞台は京都の臨済宗天龍寺の僧堂である。正座は畳を前提にした日本独自の文化。隣の中国では半跏・結跏趺坐が普通。禅宗の坊さんは100%うどんが好き。プロとアマは語源的に反対語ではないので、プロ且つアマの僧侶は両立可能。11月30日~12月8日の過酷な臘八大摂心(ろうはつおおせっしん)を越せば新到(新入雲水)も一人前に扱ってもらえる。雲水さんの頭の中は、食べ物のこと(空腹ではない)と、睡眠不足(悪夢すら見る暇がない)でいっぱいである。ドヤシと寝忘れ。かしわ布団。知客寮(しかりょう)さんの「背中ながそか」とヤクザの跡目相続の背中流しの関係。警策は夏は檜、冬は樫。著者は、新到の時、直日(じきじつ)さんから一週間に2000発叩かれた。何よりも天龍寺という嵐山の典型的観光寺院で、今もってこれほど厳しい修行が行われていることに驚いた。さすが京都五山第一位である。著者の老師(関牧翁師か?)への敬愛心の強さ、同時に公案を拈提(ねんてい)する雲水と老師の門外不出の真剣勝負である<参禅>の張り詰めた空気感は興味深かった。禅寺の跡取り息子の雲水と、将来に何の保障も無い雲水の立場と覚悟の違いが気になった。勿論、名利を求めない行雲流水の生き方を選択したのだろうとはいえ、現実には家業として寺を継ぐ禅僧は、いわば開業医の息子と同じである。「寺を継ぐなんて嫌だ!」と思い悩むこともそれなりにあるだろうが、客観的には良いご身分で羨ましいなあと思ってしまう。禅寺の<生活>に関心のある人が読めば、それなりに面白いが、禅の<教え>に興味のある人には、初歩的過ぎて無意味。著者の本は、結構分かりやすいので、芥川賞受賞作も含めて、何冊か読んでいる。あえて、批判も推薦もしない。※老師は、ネットで調べたら平田精耕師のようである。
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