8月21日(水) 天気:晴れ のち 曇り 室温:32.8℃
きょうは たつの市新宮町宮内の市立埋蔵文化財センターへ 郷土の魅力再発見 令和元年度
巡回パネル展 「地域をつなぐ歴史の道 ~郷土の古道~」 を見に行き 古道マップをいただき
ました。 古道マップは 折りたためば A5サイズで 広げると A5×16(裏表あり)の
大きさになり 裏面は マップになっています。 巡回パネル展は いただいたマップの拡大写真
が展示してあるので マップをもらえば 見る必要ないかも・・。
15日の新聞に 21日から12月まで、播磨学研都市周辺の2市2町を巡回し、古道の山陽
道や室津道、高瀬舟などを 写真約20点や 地図で4紹介する とあります。
「播磨科学公園都市圏域定住自立圏」 形成協定を結んだ たつの市、宍粟市、上郡町、佐用町は、
連携・橋梁しながら、魅力ある地域づくりに取り組んでいます。
当圏域における歴史・文化財等に関する分野では、平成29年度に 「郷土の文化人」、平成30
年度に 「郷土の中世山城」 をテーマに 巡回展を開催してきました。 令和元年度は、地域をつな
いでいた歴史の道を 紹介する巡回展を 開催します。
忘れ去られた小さな道が、かっては 村々を結ぶ大動脈として 活躍していたこともありました。
こうした道をめぐる歴史を知っていただき、本展が 郷土の豊かな魅力を呼び起こすきっかけとな
れば 幸いです。 主催者(各市町教育委員会)
マップには 以下の15の古道が書かれ、古道等に関する史跡・文化財等一覧もあります。
1.古代山陽道(たつの市~上郡町)
古代山陽道は、律令制度によって 大中小に格付けされた官道のうち、唯一の大路でした。
都から 太宰府へ通じる山陽道は、外交使節団を迎える道路として 整備され、馬を乗り継ぐ
宿泊施設として 駅家が置かれています。
2.中世山陽道(たつの市~上郡町)
中世山陽道は、筑紫大道と呼ばれています。 たつの市域では 古代道より 約1km南に
設定されたと考えられます。
3.近世山陽道(たつの市~上郡町)
近世山陽道は、西国街道とも呼ばれ、古代・中世よりも さらに 路線は南下しています。
播磨における近世交通路は、豊臣秀吉によって 新たに体系化されたものです。 そして、
西日本各地の大名たちが利用する 参勤交代の道として 整備されています。
4.室津街道(たつの市)
室津街道は、室津道、浜街道とも呼ばれています。 近世山陽道(西国街道)の五條宿から
南下して、袋尻~金剛山~馬場を経て 鳩ガ峰を越えて 室津に向かう道と、姫路から海岸部を
西進して 室津へ向かう二つの道があります。
5.古代・中世美作道(たつの市~佐用町)
美作道は、山陰地方と山陽地方を結ぶ道として 古くからりようされており、「播磨国風土記」にも
道沿いに 山陰地方の人々や神々の記事が 数多く伝承されています。
6.近世美作道(たつの市~佐用町)
近世の美作道は、中国・山陰地方の大名が 参勤交代で利用する道として 整備されました。
街道沿いには 宿駅が設けられ、大名が 宿泊や休憩する本陣が 置かれました。
7.古代・中世因幡道(たつの市・佐用町)
たつの市神岡町の古代寺院である奥村廃寺からは、複弁八葉蓮華文軒丸瓦が見つかっています。
古の瓦と同じ瓦が 鳥取市の玉鉾等ヶ坪廃寺・岡益廃寺でも見つかっており、古くから古道を介して
播磨と因幡の交流があったことがうかがえます。
8.因幡街道1(たつの市~佐用町)
近世因幡街道と称する道は、西播磨にいくつかあります。 姫路市から たつの市・佐用町・大原町・
智頭町を経由して 鳥取に至る道を 因幡街道1として 紹介します。
9.因幡街道2(上郡町~佐用町)
千種川沿いの因幡街道は、上郡町域の釜島ー與井新ー與井ー上郡までは 千種川東岸を北上する
路線となっています。
10.因幡街道3(宍粟市)
宍粟市山崎町の中心部から揖保川沿いに 北上し、一宮町安積を経て 波賀町の引原川に沿って
戸倉峠に至り、鳥取県若桜町へ越える道です。
11.但馬街道(宍粟市)
揖保川上流域である宍粟市の北部は、但馬国と境を接しており、古くより 養父郡、朝来郡方面との
往来が盛んであった地域です。
12.鉄の道(宍粟市)
播磨国北西部に位置する宍粟では、奈良時代初めの『播磨国風土記』 記事以来、明治時代前期に
いたるまで 鉄の生産が盛んに行われたことが知られています。 その背景には、原料となる良質の
砂鉄と 燃料としての木炭となる豊富な森林資源の存在があります。
13.揖保川の高瀬舟(宍粟市~たつのし)
揖保川では、江戸時代初めの元和年間に 山崎の商人であった龍野屋孫兵衛らが 難所の岩場を開削し、
山崎の出石から河口の網干まで 高瀬舟の通行が可能となりました。
14.千種川の高瀬舟(佐用町~上郡町)
江戸時代、久崎から 加里屋・中村にかけて、年貢米など 数多くの物資を 千種川の水運(高瀬舟)で 運んで
いました。 佐用郡の水運は 在郷町・久崎の湊が中心ですが、それ以外にも 船着き場があったそうです。
15.伊能忠敬の足跡(たつの市・宍粟市・上郡町・佐用町)
全国を歩いて測量し、日本地図を完成させたことで有名な伊能忠敬は、西播磨を 4回訪れています。
1回目は 寛政5年(1793)のことで、高砂から船に乗り 金毘羅参りに行きましたが、悪天候のため
坂越で下船し、書写山円教寺に参詣して 西国街道を歩いて 江戸まで帰りました。 2回目は・・
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きょうは たつの市新宮町宮内の市立埋蔵文化財センターへ 郷土の魅力再発見 令和元年度
巡回パネル展 「地域をつなぐ歴史の道 ~郷土の古道~」 を見に行き 古道マップをいただき
ました。 古道マップは 折りたためば A5サイズで 広げると A5×16(裏表あり)の
大きさになり 裏面は マップになっています。 巡回パネル展は いただいたマップの拡大写真
が展示してあるので マップをもらえば 見る必要ないかも・・。
15日の新聞に 21日から12月まで、播磨学研都市周辺の2市2町を巡回し、古道の山陽
道や室津道、高瀬舟などを 写真約20点や 地図で4紹介する とあります。
「播磨科学公園都市圏域定住自立圏」 形成協定を結んだ たつの市、宍粟市、上郡町、佐用町は、
連携・橋梁しながら、魅力ある地域づくりに取り組んでいます。
当圏域における歴史・文化財等に関する分野では、平成29年度に 「郷土の文化人」、平成30
年度に 「郷土の中世山城」 をテーマに 巡回展を開催してきました。 令和元年度は、地域をつな
いでいた歴史の道を 紹介する巡回展を 開催します。
忘れ去られた小さな道が、かっては 村々を結ぶ大動脈として 活躍していたこともありました。
こうした道をめぐる歴史を知っていただき、本展が 郷土の豊かな魅力を呼び起こすきっかけとな
れば 幸いです。 主催者(各市町教育委員会)
マップには 以下の15の古道が書かれ、古道等に関する史跡・文化財等一覧もあります。
1.古代山陽道(たつの市~上郡町)
古代山陽道は、律令制度によって 大中小に格付けされた官道のうち、唯一の大路でした。
都から 太宰府へ通じる山陽道は、外交使節団を迎える道路として 整備され、馬を乗り継ぐ
宿泊施設として 駅家が置かれています。
2.中世山陽道(たつの市~上郡町)
中世山陽道は、筑紫大道と呼ばれています。 たつの市域では 古代道より 約1km南に
設定されたと考えられます。
3.近世山陽道(たつの市~上郡町)
近世山陽道は、西国街道とも呼ばれ、古代・中世よりも さらに 路線は南下しています。
播磨における近世交通路は、豊臣秀吉によって 新たに体系化されたものです。 そして、
西日本各地の大名たちが利用する 参勤交代の道として 整備されています。
4.室津街道(たつの市)
室津街道は、室津道、浜街道とも呼ばれています。 近世山陽道(西国街道)の五條宿から
南下して、袋尻~金剛山~馬場を経て 鳩ガ峰を越えて 室津に向かう道と、姫路から海岸部を
西進して 室津へ向かう二つの道があります。
5.古代・中世美作道(たつの市~佐用町)
美作道は、山陰地方と山陽地方を結ぶ道として 古くからりようされており、「播磨国風土記」にも
道沿いに 山陰地方の人々や神々の記事が 数多く伝承されています。
6.近世美作道(たつの市~佐用町)
近世の美作道は、中国・山陰地方の大名が 参勤交代で利用する道として 整備されました。
街道沿いには 宿駅が設けられ、大名が 宿泊や休憩する本陣が 置かれました。
7.古代・中世因幡道(たつの市・佐用町)
たつの市神岡町の古代寺院である奥村廃寺からは、複弁八葉蓮華文軒丸瓦が見つかっています。
古の瓦と同じ瓦が 鳥取市の玉鉾等ヶ坪廃寺・岡益廃寺でも見つかっており、古くから古道を介して
播磨と因幡の交流があったことがうかがえます。
8.因幡街道1(たつの市~佐用町)
近世因幡街道と称する道は、西播磨にいくつかあります。 姫路市から たつの市・佐用町・大原町・
智頭町を経由して 鳥取に至る道を 因幡街道1として 紹介します。
9.因幡街道2(上郡町~佐用町)
千種川沿いの因幡街道は、上郡町域の釜島ー與井新ー與井ー上郡までは 千種川東岸を北上する
路線となっています。
10.因幡街道3(宍粟市)
宍粟市山崎町の中心部から揖保川沿いに 北上し、一宮町安積を経て 波賀町の引原川に沿って
戸倉峠に至り、鳥取県若桜町へ越える道です。
11.但馬街道(宍粟市)
揖保川上流域である宍粟市の北部は、但馬国と境を接しており、古くより 養父郡、朝来郡方面との
往来が盛んであった地域です。
12.鉄の道(宍粟市)
播磨国北西部に位置する宍粟では、奈良時代初めの『播磨国風土記』 記事以来、明治時代前期に
いたるまで 鉄の生産が盛んに行われたことが知られています。 その背景には、原料となる良質の
砂鉄と 燃料としての木炭となる豊富な森林資源の存在があります。
13.揖保川の高瀬舟(宍粟市~たつのし)
揖保川では、江戸時代初めの元和年間に 山崎の商人であった龍野屋孫兵衛らが 難所の岩場を開削し、
山崎の出石から河口の網干まで 高瀬舟の通行が可能となりました。
14.千種川の高瀬舟(佐用町~上郡町)
江戸時代、久崎から 加里屋・中村にかけて、年貢米など 数多くの物資を 千種川の水運(高瀬舟)で 運んで
いました。 佐用郡の水運は 在郷町・久崎の湊が中心ですが、それ以外にも 船着き場があったそうです。
15.伊能忠敬の足跡(たつの市・宍粟市・上郡町・佐用町)
全国を歩いて測量し、日本地図を完成させたことで有名な伊能忠敬は、西播磨を 4回訪れています。
1回目は 寛政5年(1793)のことで、高砂から船に乗り 金毘羅参りに行きましたが、悪天候のため
坂越で下船し、書写山円教寺に参詣して 西国街道を歩いて 江戸まで帰りました。 2回目は・・
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