9月11日(水) 天気:晴れ 室温:32.5℃
今回の山歩きは、2008.5.18に登った 宍粟市山崎町上比地の牧山505.5mです。 この前の国見
山のブログを書いていると、西の山にも登ったことを思い出しました。 よくよく調べると、牧山でした。 この
際 ついでに書いておきます。 牧山は、山崎町と新宮町との境界尾根にありますが、倒木が多く、道も荒れていて
山歩きで 登るような山ではありません。 私も なぜ 登ったのか わかりません・・。
牧山へは、国見の森公園の交流館のから登ります。 交流館から 林道を西へ進んだのは 覚えていますが、その先
どの道を歩いたのか 定かではありません。 道標に従って、柏原城跡へ登りました。 柏原城跡からは 境界尾根を
南へ歩いて、牧山へ登ります。 また、山から降りて 比地の滝を見に行きます。 下山道脇には、遊鶴寺跡がある
ようですが、写真がありません。 この頃は ハイジには 興味がなかったようです。
柏原城跡は、 宍粟郡山崎町金谷と 新宮町奥小屋の境界の尾根上(標高約490m)に 位置する山城で、城主は
早瀬帯刀正義と伝えられる。 築城年代は 明らかではないが、天正8年(1580)の秀吉軍の長水城攻めの時に
長水城の宇野氏の家臣、小林・春名氏等の諸将が守っており、秀吉軍の攻撃で落城した。 この時、山中にあ
った 天台宗の遊鶴寺も 戦火に遭い 焼失したといわれています。
柏原城跡から北に 狼煙で合図を送ったといわれる 長水城(長水山)が 見えたようですが、写真がありません。
柏原城跡をあとにして、境界尾根を南へ下り、牧山へ向かいます。
比地の滝は、上比地地区から 谷あいを500mほど入ったところにあります。 中世には 滝の上流 譲尾に 遊鶴
寺という寺院があって、羽柴秀吉の長水城攻めのときに 焼き払われたと 伝えられています。 宝永五年(1708)の
「播州宍粟郡誌」 や 大正十二年(1923)の「兵庫県宍粟郡誌」にも 名勝として記され、旧暦七月七日の未明には、
ウナギが 滝を登るとの伝説も残されています。 落差12mの滝は、水量豊かな滝の壮観、滝つぼの希趣、周辺のす
ぐれた景観や 植生なども注目されています。 (宍粟市指定文化財、名勝)
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