天皇家のサラブレッド第68代後一条天皇は、9歳年上ですがこれまた有力な道長4女威子(イシ)とだけ結婚し、当時では珍しい一夫一婦制を貫きました(貫かされたかも)。
この二人に皇子が産まれたら、道長はじめ藤原北家は万々歳だったのですが、皇子は産まれず、残念ながら内親王二人が産まれただけでした。
二人の内親王の内、妹の馨子内親王(ケイシ・カオルコ)(1029~1093)は第71代後三条天皇に入内しましたが、産んだ一皇子・一皇女は夭折しています。
陵の近くには昔の京都市電の錦林車庫があったので、そこに京都市電が飾ってありました
今回の主人公は姉の方の章子内親王(ショウシ・アキコナイシンノウ)(1027~1105)です。
章子内親王は10歳で父後一条天皇と母威子を相次いで亡くしましたが、祖母兼母方では伯母の上東門院彰子の庇護を受け、1037年11歳で2歳年上の親仁親王(チカヒト)の東宮妃になり、親仁親王が第70代後冷泉天皇(1025~1068)(在位1045~1068)になったので、女御になりました。
細長くなかなか立派な御陵です
しかし子宝には恵まれず、夫の後冷泉天皇崩御後は落飾(ラクショク;貴人が髪をそって仏門に入ること)し、太皇太后として後二条院と称し、40年近く安定した余生を送って80歳で亡くなり、父親と同じ菩提樹院陵(ボダイジュインノミササギ)(左京区吉田神楽岡町)に後冷泉天皇皇后章子内親王として葬られています。
返事
toitenlabeeさん:お経は嫌な仕事より容易いのでは!
最後に底に残ったコーンフレークで、今までの美味しさが消える時が有りますね。
まあ私は総入れ歯になってからは、硬口蓋は入れ歯で守られ、
コーンフレークが刺さることは無くなっていますがね(自慢になりませんが)
白玉が入ってるのは、和風パフェだけでしょ。
花水木さん:人がいず、
並ばずに御朱印が手に入ったのは良かったです。
プリンアラモードは、高台の有る平べったい紡錘形の器に入った物では?
逆円錐形で細長い器に入っていて、長いスプーンで食べて、
最後の底の一すくいが取りにくいのがパフェでは?
70歳過ぎてさすがにもうやりませんが、
パフェの器の内面に残ったクリームなどがもったいなくて、
ちょっと水を入れて器を回し、こびりついたクリームを溶かして、それを飲む。
そしてあまりおいしくなくて、今までのパフェの後味を台無しにして後悔する。
若さゆえの苦い思い出を、返事を書いてる間に思いだしてしまいました。