高瀬川、せっかくなので番外編で高瀬川をたどることにします。
高瀬川は人工の運河ですので、その取水口はどこにあるのかと思ったら、出町に架かる賀茂大橋の下流に、赤い彼岸花がある横に二つのゴミを止める柵がある、写真のこれらしいですね。
しかしここはなんと私が大学時代にラグビーの練習でドタドタバタバタ走っていた、鴨川河川敷の大学グランドのある場所でした。(木は60年近くで大きくなりましたね)
灯台下暗しと言うか、何も考えずに暮らしていた青春時代です。
取水口から流れた水は、みそそぎ川(みそぎ川)として、鴨川河川敷の暗渠を流れて、ここ丸太町橋の下流で地上に出てきて、鴨川右岸を鴨川と並行して流れます。
よく見ると「みそそぎ川」と書いてありますね。
地上に出たみそそぎ川から川端二条の少し下流で、水を取って高瀬川は始まりますが、残りの水はそのまま滝のようになって鴨川右岸を、少し鴨川より高度を取ったまま流れていきます。
京都鴨川納涼床(ノウリョウユカ)の下を流れるので、厳密にいえば鴨川ではなく、みそそぎ川納涼床と言った方が正しいのかもしれません。
こうしてみそそぎ川は、そのまま五条大橋上流で元の鴨川に合流します。
みそそぎ川から流入した水は、元角倉了以別邸から大岩邸になり、今は寿司屋チェーン「がんこ」の店になってる、1611年に造られた高瀬川源流庭園の中を潤して、いよいよ高瀬川になります。
この「がんこ」で麻雀新年会したことが有りますが、客はこの庭園を散策することが出来ます。
いよいよ高瀬川の始まりですが、ここには島津製作所創業地と日本銀行京都支店が有りますが、元は角倉了以の自宅があったようですね。
大堰川(オオイガワ)(保津川)とこの高瀬川を150億円の私財をなげうって、息子素庵(ソアン)(1571~1632)と共に開鑿(カイサク)した角倉了以(スミノクラリョウイ)(1554~1614)ですが、商人ですのでその通行料で簡単に元はとったようです。
続く
」の歌詞に、青春映画が夢なんて後からほのぼの思うもの、と。
若い時には、病気とか、将来への不安は無かったような気がします。
ちゃんと生きて行けるかどうか、いつも心配ばかりしていた青春時代です。
がんこもたくさんありますからね。
で、調べてみたら、がんこ寿司で、アフタヌーンティーとか、お屋敷カフェなんかやってるんですね!
これはなんかそそられます。笑
がんこは二条店以外行ったことありません。
5年ほど前に旅行した時にこれが高瀬川かと眺めたことがありましたが、浅いので現代では舟は通らないものと思っていましたが、ちゃんと浮かんで通れるのですね。
写真の船は単なる飾りだけです。
水量を増やして、柳川のように観光船を走らすのは、橋も多く無理でしょうね。
日高ブログの最近の更新の多さについていけないぐらいです。
五島弁をクイズのように解いてますが、あたりは半分以下ですね。
ありがとうございます。