島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

70-3後冷泉天皇皇后寛子

2020-09-09 | 天皇陵巡り
 
 藤原寛子(フジワラノカンシ・ヒロコ)(1036~1127)は道長の後を継いで藤原氏長者になった頼通(ヨリミチ)(992~1074)の長女で、母は藤原祇子(ギシ)(?~1053)で、やや母方の身分が低い感はありますが、同母弟の師実(モロザネ)(1042~1101)も後継者になれて関白になっています。
  何回も使いまわししてる宇治陵総拝所の写真です
 
 正妻との間に子女に恵まれなかった頼通にとって、寛子は待望の娘でしたので、後冷泉には東宮の時から章子内親王がもう入内していて(1037年)、天皇に成った後も3年前には従姉妹の歓子(カンシ・ヨシコ)も入内していたのに、1050年に寛子も入内させています。
  宇治陵総排除の前に建つ藤原北家塋域の碑には、頼通・師実の名も刻まれています
 
 明るい性格で、後冷泉天皇の寵愛も受けましたが、子には恵まれませんでした。
夫に先立たれて出家し、四条院とし、皆から敬意を払われながら92歳まで生きて、宇治の山奥の院で亡くなり、宇治木幡の藤原家塋域に葬られ、宇治総拝所制札には後冷泉天皇皇后寛子として名があがっています。
 昭和天皇皇后の香淳皇后(コウジュン)が2000年に97歳で亡くなるまでの870年以上の間、寛子は皇后歴代最高齢記録を保持していました。

コメント (1)
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