不幸な出来事ですが、大震災や火事、水害など災害があったとき、被災された方々が捜し求めるものがあります
写真です
記憶と最も密接(具体的に)に結びついている物だと思います
以前、日向市の市制記念誌を見ました
それは写真集の形をしており、そこには市井の人々の暮らしが写されており
それを見ると、(自分の記憶ではないのですが)自分の記憶を反芻しています
ある写真は、私を強く突き刺します
それはロランバルトが言った「プンク・ツウム」だと思います
写真のある部分が、私の記憶の中のある部分を突き刺し、そして記憶の表に浮かび上がらせます
それこそ、写真を見る喜びでしょう
だから、写真は年代がたてばたつほど、写真の持つ力が増し、そして普遍性が出てきます
日本では考えられないことなんですが、欧州では古写真が販売という形で流通されています
自分とはまったく関係の無い写真が、その写真をが持つ普遍性によって、取引されているそうです(これは、複数の写真家から聞いたことです)
すばらしいですね
写真のひとつの形ですし、私はそんな写真が大好きです(西米良の小川にもそんな写真があります)
SMPは私の記憶の一枚です
犬(ソックス)は死んじゃったし、抱きかかえられている子は成人しました
でも、この写真を見ると、私の記憶はよみがえります。
ソックスは元気で駆け回っているし(下半身不随でしたけど)、息子はやんちゃでかわいらしい子供で、そこにヘトヘトな妻がいました