アナーキー小池の反体制日記

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#1939 バット工場

2016年04月29日 | 昔の思い出
#1937柾葺屋根で、生まれ育ったところのすぐ近所に柾工場(まさこうば)があったことを記しました。
ただ、柾(まさ)の需要はすぐに無くなったのです。

ボクが小学年のころ、その柾工場はバット工場(こうじょう)になったのです。
バットとは野球のバットのことです。
ボクの生まれ育った日高地方は、野球のバットに最適といわれるアオダモの木がたくさん生えていて、昔からバットの材料として切り出されていました。

昔からプロ野球やノンプロ野球に使用するバットの多くは、日高産のアオダモを用いていました。
柾工場の経営者は柾の需要が無くなると同時に、バット工場に看板替えです。

バット工場とはいえ、バットを作るのではなく、アオダモの原木をバットの材料になるよう製材するだけなのです。
縦横10cm、長さ1m程度の物だったでしょうか?、柾を作ったのとたいして変わらないような単純な機械でバットの元になる角材を作り続けていました。

その角材は自然乾燥された後、本州の本当のバット工場に運ばれたのでしょう。
今でもプロ野球では、日高産のアオダモの木を用いたバットを使っています。
でもプロ野球以外は金属バットが全盛で、木製バットの需要が激減したのでしょう。
いつの間にか、柾工場からバット工場に華麗な変身を遂(と)げたところも無くなってしまいました。

・・・
しばらく昔の思い出を語りました。
しかし、長々と昔の思い出に浸っている場合ではありません。
次回は暴力の危機への対応法です。
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