アナーキー小池の反体制日記

世界中のひとが 仲良く助け合い ほほえみながら 平和に暮らしていくために (イマジン)

#79 ボクの死生観(2)

2008年01月14日 | 健康と生と死と
前回の続きです。

時々、集団自殺のニュースが出ます。
インターネットの自殺サイトにはとても多くのアクセスがあるんだそうです。
きっと、この世の中には自殺をしたいと考える人がたくさんいるんです。(リストカットを繰り返す少女がいますが、そういうのは別です。)
もしかしたら、ゲイと同じく10%くらいいるのかもしれません。

南太平洋のある小さな島は、自殺率が極端に高いそうです。
ほんの些細なことで、又は思い当たることが無いのに、簡単に自殺をしてしまうんだそうです。
どうも、島の人口密度が影響しているようです。
適正な人口に戻そうとする、何かの摂理なのでしょうか。

地球上にヒトが高密度にはびこり、他の生物の種の存続を脅かしています。
自殺をする固体が、またゲイが出現しだしたりするのは、高密度となったヒトを減らす、そんな人知を超えた未知の作用が働いているように感じたりします。

ボク達の国では、百数十年前まで“姥捨て(うばすて)”の風習がありました。
年老いた親を山に置き去りにし、死ぬのを待ったのです。
年老いた親も多くはそうなるものだと達観していたと言います。
そうしないと、家族全員が生きていけなくなるのを知っていたからです。

自殺はそんなに悪いものではありません。(眉をひそめる常識人の顔が目に浮かびます。)
“姥捨て”より、よっぽどいいんです。
地獄に落ちるとか、代々たたるとか信じているのはナンセンス!
(家族、親、兄弟を悲しませるのは事実です。ここのところの理解を得ることと、割り切りだけです。)

90%?の健全な(自殺については考えてみたことも無い)人たちには、さっぱり理解のできない話となりまして申し訳ありません。

マイノリティー(少数者)は、ある一定の率を越えたとき、市民権を得だします。
オランダでは随分前から一定の条件のもと、医師が自殺の幇助を行うことが認められています。
大きな流れとして、市民権の獲得が始まったのかと期待しています。

といって、ボクがすぐに自殺するなんて期待しないでください。
ボクにとって、死は甘美な誘惑なのは間違いありませんが、残念ながら自殺はしません。
自殺ではなく、苦痛が無く、周りに迷惑がかからない、そんな死に方があって、そしてそのように死ぬんだったら今だってかまわない、そのように思っているだけなんです。
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