アナーキー小池の反体制日記

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#1075 早逝した友 ⑥ M・信明さん

2012年09月28日 | 昔の思い出
職場の先輩で、確か42歳で亡くなっています。
満年齢なのか数え年なのかの記憶はないのだけど、やっぱり厄年か!って、言ってましたので数え年なのでしょうか。
今から22,23年前だったのですね。

M・信明さんはボクが就職した前年の昭和48年に市役所に入り、都市計画課に在籍していました。
ボクが同じ都市計画課に配属されたのだけど、最初は彼に頼りきっていました。優しい人で皆に慕われていました。

その彼が平成元年だと思うのだけど、自殺しました。自家用車での排ガス自殺です。
きっと数え年42歳の厄年だったと思うのです。そんなうわさがありました。

その日、仕事を始めだしてすぐに、その情報が入りました。彼は下水道課、ボクの勤める都市計画課の隣です。職場は騒然となりました。
遺書があり仕事上での悩みが書かれていたと言われていました。

仕事の悩みで自死するなんて信じられませんでした。
ところが半年後でしょうか?、遺書にはそんなことを書いていなくて、美人局(つつもたせ)の被害にあい、悩んだ末の自殺だったのを知らされました。

市内にごろつきは何人もいます。市役所に出入りしていたのも何人かいました。
その中の一人、当時70歳くらいのカツアゲ(恐喝)屋がいたんですが、そいつの歯牙にかかってしまったのです。
美人局に引っかかり、慰謝料や口止め料として金品を要求します。
そんなやつに一回でも金を払うと、際限なく追加の金を要求されます。
彼は実家の親にも何度か金を貰って要求に応えていたのだけど、とうとうどうにもならなくなったのでしょう、死を選びました。

そんな遺書があるのに、なぜ関係者は警察に恐喝を訴えなかったのか不思議に思いました。
取り巻きが証拠不十分だと言ったとか、遺族が恥を明らかにしたくない思いがあったとか、いろいろいわれましたが、納得できません。
その後そのごろつきが他の職員に「お前もMみたいになりたいのか!」と脅していることも知っています。

職場がごろつきに甘い体質は昔からです。
そんなやるせない思いを抱いていたからなのでしょうか、階段でその”ごろつき”と出会ったとき、蹴り落としてやろうか、なんて思いました。
やっぱり自死後にすぐ、恐喝で訴えなければなりませんでした。そうしなければ、あのやさしい信明さんの霊が浮かばれません。

・・・
亡くなる1週間前です。職場のトイレで並んでおしっこをしていました。信明さんが「イケ(ボクのこと)、たまに飲みに行こうや」と言ったのです。
ボクは「そうだね、久しぶりにね」と返事をしました。
信明さんとはこの2年間、交友がありませんでした。ボクが派遣で市役所を出ていたため、一緒にお酒を飲みにも行ってませんでした。

もしかして・・とボクは思うのです。
あの時すぐに二人でお酒を飲んでいたら、悩みを打ち明けられたのかもしれない、いやもしかして、すぐに飲み会をすることを彼はボクに求めていたのかもしれない、って。
悔やまれてならないのです。



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