アナーキー小池の反体制日記

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#662 竹原前阿久根市長

2011年04月05日 | ボクの思い・信条・理念
あの有名な竹原前阿久根市長のことです。
議会、報道、裁判所などへの批判は目に余るものがあり、ボクの嫌いな政治家です。
特に議会を全く無視するファッショ性には虫唾(むしず)が走ります。
議会は首長の暴走を諌(いさ)める唯一の機関です。多くの議会が十分に機能していないとしても。

ボクは竹原氏が嫌いですが、彼の信念を持った言動を認めないではありません。
差しさわりの無い言葉だけをたくさん並べて、実は何もしない首長や議員よりはよっぽどマシです。

彼が起こした騒動の中で、ボクが共感できることが2点あります。
"ネット選挙"騒動です。
阿久根市長選において彼は、公選法に抵触すると言われる"ブログの更新"を平然と行いました。
この件について、公選法が時代遅れと考えるボクと同じ思いだと思いますが、彼は公選法に抵触などしていないと主張しています。
ちなみに彼は公選法違反で書類送検されましたが、当選に差し障る処分とはならなかったようです。

一番批判の大きかったのが"障害者に対する差別発言"です。
ブログによる発信ですが、"高度医療が障害者を生き残させている"と主張しました。
この件で彼は散々批判され、彼としては珍しく最後は謝罪しました。
しかしこの件は、誤解を怖れず記しますがボクの思いと共通点があるのです。

"高度医療"が乳児もしくは胎児にまで、また回復の見込みも意識もない老人にまで施されていることに危惧しています。
医療は必要ですが、高度医療は必要ありません。
もう少し自然に任せるべきだと、ボクは思います。
母体に問題がないと認められる場合の流産の多くは、胎児に先天的で重篤な病気があると言われています。
哺乳類はこのようにして種を保ってきました。

重篤な病気を持つ胎児も流産せず産まれることがありますが、出産直後に亡くなるのが大半です。(軽度の障害者は昔から生き延び、地域で神の使いとして崇められていたこともありました。)
30年か40年前の医療で十分です。
それが自然の摂理です。

竹原市長は医療コストの面からのアプローチでしたので反発が強かったと思うのですが、生物の種のヒトとしてのありかたに疑問を持ってのことでしょう。

こんなことを書いていたら批判の嵐に合うかもしれませんが、ボクは少なくとも優生思想からの思いからではなく、自然(地球)に生かされているヒトとしてのありかたを正直に問うているつもりです。

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