アナーキー小池の反体制日記

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#4688 ボクの思想・信条 ⑳ 宗教(上)

2024年03月22日 | ボクの思い・信条・理念

#4673で触れた宗教についてです。

ボクの家には神棚があって仏壇もあるんです。宗教に否定的なんだけど、親から引き継いだものを捨てずにしてるんです。神棚には何年も前に購入したお札が鎮座しています。日本神社庁は、お札は毎年取り換えるように、ってCMしてるけど・・・

正月には玄関に飾りをします。神社のお札と同様、何年も前に購入したものを再利用してます。今の時代に即した持続可能な環境作りの一環です。一応、大晦日に神棚を清掃し水や塩、米を供えるんです。そして大晦日と元旦は手を合わせてお祈りします。正義がまかりとおる社会になりますように、ってね。大晦日の夜と元旦の朝だけですが。

仏壇は2年前、母が亡くなったので引き継いだものです。母が生前からお願いしていたお寺の住職に母の葬儀以来、仏事を継続してもらっています。浄土真宗西本願寺系です。葬儀、一年忌、三回忌と四十九日の法要と初盆のお参りに来てもらいました。一丁前に一通りのことはしたんです。母のことだから普通にするのがいいと思いました。またボクの兄弟たちへの配慮みたいのが働いたのかも知れません。兄弟たちも信仰には無頓着なようですが。

・・・

ボクは小学生の頃から、山や川やや海など自然に対し畏怖の念を持っていました。この大きな自然に生かされていて、決して自然を侮ってはいけないし、愛おしむべきものなんだ、って思いを抱いていたもんです。

また、親しくしていた人が亡くなり、その人を悼む気持ちも人一倍持っていたように感じます。そんなのは今でも変わりません。

そんな自然や故人に対する感情を〝宗教”の始まりだ、って指摘する向きがありますが間違いです。識者は〝自然や故人に対する感情”を宗教以前だ、と喝破(かっぱ)しています。何万年か前、ヒトが獲得した能力のようで、宗教に結び付くものなんでしょうが、宗教そのものではない、との解釈です。

ボクは宗教を厭いますが、その前段の"宗教以前”の心は持っているようです。

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宗教を厭(いと)うことについても、大きな抵抗があることは承知しています。アナキズムにとって国家と宗教を否定することが大きな障害になっていることは確かでしょう。

昔 宗教は必要だったのかも知れません。科学が進んでいない時代、災害などの事変は原因がわからず、神のせいにするしかなかったのです。

地震や火山の噴火などが突然襲ってきても、どうして起きたのかわかりません。疫病で多くの人が亡くなっても何が原因なのか皆目わからないのです。

こんなことって、たった2,3百年前の世界の常体でした。

続きます。

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