NPO法人アートチャレンジ太郎吉蔵が、昨年(2022年)3月をもって正式に解散しました。
解散に至った結論から簡潔に記し、その後、その経緯を詳細に記します。
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解散に至った結論です。
NPO設立翌年、彫刻家・五十嵐威暢氏が滝川公園を中心に芸術公園都市構想を練り、滝川市に提出したんです。それほど大掛かりなものではなく、滝川公園に五十嵐氏の彫刻を配置し、氏のアトリエも構え、市民が気軽にアートに触れることが出来るスペースの創造でした。翌年には、アトリエを公園に隣接する旧浄水場が望まししいと提案したんだど、市はその提案を無視した、と言うべき対応でした。その本質を辿っていくと、市職員の同調圧力とで言うべきものの存在があるんです。それは反五十嵐と反イノマタでした。
五十嵐氏が提唱した芸術公園都市構想と、氏のアトリエを旧浄水場にしたいと提案したんだけど、それらはボクに知る限りロクに検討されることはなかったんです。
双方ともロクに検討されることなく、どうしましょうか?って関係者が上に上げ、上の者の「ほっとけ」の一言でお終いになったのです。
「ほっとけ」との判断は当時の市長でなく・・・この件について市長にはロクに上がっていなかった気配があるんです。
市職員間に漂う反五十嵐感は後に記しますが、市職員音楽愛好家たちと氏の軋轢がもたらせたもので、その件が大きく市職員や市議らに広がりました。(五十嵐威暢氏にその意識はありませんでした)
反イノマタは、当時の市特別職や市職員などに漂っていた風潮なんだけど、NPO代表がイノマタ派だとの誤解を生み、同調圧力となって反NPOへと拡散したのでした。
氏が提唱した芸術公園都市構想と氏のアトリエを旧浄水場にしたいと提案したのが「ほっとけ」と言われ、多くの職員が何ら抵抗することなく従い、“塩漬け”状態で放置され、回答すら得られませんでした。
この2つの件が致命傷になり、NPO解散の事態になったのです。
"アート音痴(オンチ)”とか"アンチ・アート”とか"アート殺し”とも称される、このマチの対応について本質を探ります。
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経緯の詳細に入ります。(長くなります)
昨年2022年、事務局から「アートチャレンジ太郎吉蔵2000~2020」と題する冊子が送られてきました。この20年にわたる活動の実績と、関係者の思いが綴られているようです。
ただ眼の悪いボクは、文章の大半を読むことが出来ません。ハズキルーぺもどきを用いても、関係した人の感想など小さな字は読みとれないのです。
ただ、大きな字で記された文章を見る限り、20年間の活動の実績は書き尽くされているものの、解散に追い込まれた実態についてはほとんど触れられていないようです。
ただ1ヵ所、五十嵐威暢氏の巻頭の辞の中に「滝川市からも北海道庁からも支援が望めない状況下で・・・」と記されているのみなのです。(ほかに小さい字で記されているのかもしれませんが)
ボクはこのA・C・T に係わった者の責任として、このブログの“記し継ぐべきことシリーズ”に毎年、滝川市の支援どころかジャマだてしていた実態を記し続けています。
送られてきた冊子に触れられていない解散に至る実態を、この冊子を完成させます。
まず冊子に記されている、A・C・T の功績について次回に記します。