アナーキー小池の反体制日記

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#2221 アイスホッケーの思い出(1)

2017年02月14日 | 昔の思い出
一昨日、アイスホッケー日本女子は来年のピョンチャン五輪の出場を決めました。
3日間、テレビで観戦していました。
とてもエキサイティングな試合を見せてくれました。
3,4年前よりずいぶん強くなったように感じます。
ピョンチャン五輪では念願の五輪初勝利が叶(かな)いそうです。

テレビを観ていて、昔のことをいろいろ思い出します。
小中学生の頃や高校時代の頃のことなどです。

・・・
テレビの解説は若林クリスといって、東北のなんとかいうチームの監督なのだそうです。
名前もイントネーションもちょっと日本バナレなのです。
そして、もしかして彼は昔日本リーグで活躍してた、カナダから来た若林兄弟の関係者ではないか?と思ったのです。
調べてみたら、若林兄弟の兄・仁の息子だったのです。
若林兄弟は日系のカナダ人です。(弟は修といいます。今は日本に帰化してるのでしょう)
もう50年近く前のことですが、彼らのことはよく覚えています。
彼らが話す日本語はたどたどしいものでしたが、プレーは本場仕込で洗練されていたものでした。

ボクは学生時代に何度も、アイスホッケー日本リーグの試合を観に行きました。
もう40数年も前のことですが、今でも観て一番面白いスポーツはアイスホッケーだと思っているのです。

ボクが札幌に住んでいたときに札幌オリンピックがあって、真駒内アイスアリーナが出来ました。
開閉会式やフィギュアやアイスホッケーが行われました。
ボクはビンボーだったので、札幌オリンピックはなにも観ることがありませんでした。
でもその後、真駒内アイスアリーナでアイスホッケー日本リーグの試合が行われたのです。
会場が歩いていけるところにあったし、入場料も手ごろだったので何度も見に行きました。

昔のアイスホッケーは苫小牧の王子製紙と岩倉組が強かったのですが、その頃から本州資本の西武鉄道が力をつけていたのです。
カナダからの若林兄弟をはじめ、オマリーなどというとんでもないDFも獲得していたのです。
札幌オリンピックをめぐって、国が競技の強化を図った側面もあったのではないか、と思います。
いまだ若林兄弟やオマリーを覚えているのですから、彼らの活躍は鮮烈だったのでしょう。
アリーナの最前列で彼らの肉弾戦を観ることができたのです。
その迫力は今も脳裏に張り付いています。

・・・
ボクは小さいときからスキーになじみが少ないのです。
雪が少ないところに生まれ育ったからです。
スキーが出来なかったけど、その代わりにスケートがありました。
小学生のころからスケートをしていました。
でもスケートって疲れるだけで、面白いものではありません。
スキーのようにリフトで持ち上げてくれませんので、ひたすら漕(こ)ぎ続けるだけです。

続きます。


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