祖父鍋太郎の長男”猛"は、大正11年5月4日様似町鵜苫にて出生しています。
地元の高等小学校を卒業後、余市町にあった水産関係学校に進学し、卒業後、浦河町の荻伏漁協に就職しました。
戦時に徴兵され、アリューシャン列島のどこかの島に駐留しました。
戦後、荻伏漁協に復職し、同僚の間山フサエ(浦河町荻伏)と当時は珍しかった恋愛結婚をするのです。
その後、漁協を退職し様似町に戻り運送業を始めるのだけど、母 . . . 本文を読む
寄り道をしてしまいました。
"ボクのルーツ"に戻ります。
母の母にあたる"さとゑ"は明治34年(1901)8月12日様似郡様似村大字岡田村の柳橋紋四郎と”とよ”の三女として生まれました。
そして大正11年(1922)2月1日、竹中鍋太郎と結婚したのです。
鍋太郎の両親,健四郎とトメのほか、鍋太郎の甥,喜与一も同居するにぎやかで忙しい家庭だったようです。
闊達で厳しい女性だったそうです。
長男 . . . 本文を読む
祖父の仕事の続きです。
道内最初のサケ・マス孵化場とは、日本初、もしかして世界初かと思いきや、新潟県村上市に最初のができていたとのこと、浦河町のは全国2番目だそうです。(浦河百話にそうありました)
妻さとゑとの間に、三男一女をもうけました。
その一女がボクの母、甲子(こうこ)です。
母方の祖父 竹中鍋太郎は、毎日詰襟の制服を着て出勤していたといいます。
孵化場のほか、海産物の鑑定を行っていたと . . . 本文を読む
カテゴリー”ボクのルーツ"で、父方の曾祖母から伯父伯母を6年前、#174~190で紹介したところです。
母方のもそのうちと思っていましたが、系統立てての記述は何もせずじまいでした。
今回から数回に分けて連載します。
母方の祖父 竹中鍋太郎(なべたろう)です。
面白いネーミングです。(ちなみに弟を釜次郎と命名はしてません)
ボクが高校生のときに亡くなりましたので、よく憶えています。
明治30年( . . . 本文を読む
"しょっちゃん"とはボクの母の弟で、竹中昭永(しょうえい)さんの愛称です。
ボクも幼い頃から"しょっちゃん""しょっちゃん"と呼び親しんでいたものです。
その"しょっちゃん"が先日の17日に亡くなり、自宅のある浦河町で葬儀が行われました。
ボクも車で葬儀に参列しましたが疲労が抜けず、ブログにも向かえない状態でした。
母方は三男一女の4人兄弟、今回は亡くなった竹中昭永さんは、末っ子でした。
昭和6 . . . 本文を読む
前々回記しました伯母のことで、思いついたことがあります。
92才で亡くなったのですが、老衰です。
何の病名も付かず入院し、数ヵ月後亡くなりましたが、死亡診断書には呼吸不全とあったそうです。
これって結局、老衰なんだと思います。
昨年11月に会っています。
自分で歩き、トイレも自分でし、話も自然にできました。
忘れることが多くなり病院へ連れて検査をしたのだけど、認知症でなく、老化だといわれたそうで . . . 本文を読む
19日に亡くなった伯父(母の兄)のことを記します。
このブログでも数度登場したことがありますが、激動の時代を生き抜いた人生でした。
大正14年に様似町にて出生。
4人兄弟の次男で母のすぐ上の兄になります。
函館師範学校へ進学し、音楽のピアノを専攻しました。
ところが昭和19年か20年、学徒出陣で徴収され満州に送られます。
そして終戦となり、ソ連軍の捕虜になりシベリア抑留の憂き目にあいます。
3 . . . 本文を読む
前々回、母方親戚の結婚式を記しました折り、母の兄弟が皆長生きなことも述べました。
ただ、母の母(ボクからは祖母)は若くして亡くなりました。
40代だったのでしょうか、昭和22年に亡くなっています。
平成8年だったと思います、その祖母の五十回忌法要が営まれました。
ボクは実家から遠方にいるので、その手の催しにはほとんど出席したことがありません。
ボクの両親も出席を強いることなどないのですが、そのと . . . 本文を読む
昨日札幌で親戚の結婚式がありました。
新郎が日高管内浦河町在住でボクの母方の親戚にあたります。
新婦が旭川の人で、どちらからも来易く、また出会った地であったことから札幌での挙式となったようです。
母の実家のある様似町や浦河町から親戚が大勢来ていましたので、懐かしく、また楽しいひと時を過ごしました。
ボクの母は84歳になります。
母は4人兄弟で、2人の兄と1人の弟がいます。
長兄を除き、3人は在命 . . . 本文を読む
父の唯一の弟で、昭和2年5月25日三石村にて出生しました。
昭和29年3月24日浦河町藤本保長女攝子と結婚、浦河町に住みます。
ボクが生まれてから結婚したんですね。
浦河の大通りで編み機や電気製品を販売する商売をしていました。
また、編物教室を開き、若い女性たちに機械編みを教えていました。
そして、ボクの家の一室でも近所の女性を集めて教室を開いていましたから結構繁盛していたんです。
叔父はボク . . . 本文を読む
父の続きです。
当時農協職員の給料は安かったんです。
農協の組合長は職員に副業を奨励して生活の足しにしろと、色々紹介したものだそうです。
カナリヤやアンゴラウサギの繁殖、七面鳥の肥育など、あまり儲かりはしなかったけど経験だけはつんだそうです。
そんな時、田んぼを持った事があるんです。
ボクが小学校の下級生の頃だと思いますが、2kmほど離れたところに田んぼがあって、その手伝いをした記憶があります . . . 本文を読む
雑音が入りましたが、ルーツシリーズに戻ります。
前回のスズエが生まれてから今回の勉が生まれる間に、双子の姉妹が生まれています。
大正12年6月20日、松子とタキ子が生を受けます。
しかしタキ子は大正14年1月24日に1歳7ヶ月で、松子は大正14年3月17日に1歳9ヶ月で相次いで亡くなってしまいます。
当時双子を育て上げるのは難しかったようです。
タキ子は、本当は竹子と名づけたかったのが、役場の手 . . . 本文を読む
大正9年5月20日、三石村大字けり舞51番地において出生。
父の兄弟で、唯一現存しています。
昨年まで、浦河町で一人暮らしをしていましたが、とうとう今年から苫小牧の娘のところへ行きました。
平成20年7月に届いた、スズエからの転居挨拶をそのまま紹介します。
拝啓 寒流が流れる浦河もいよいよ夏本番となって参りましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。
私、昨年秋に冬場だけの積もりで次女美奈子の処へ来 . . . 本文を読む
前回の"ムメヲ"と今回の主役"愛吉"の間に"等"という名の三男がいました。
彼は大正5年2月5日に生まれ、昭和12年9月20日に21歳で亡くなっています。
ボクの父が12歳の頃に亡くなったのですが、大層な頭痛の末、亡くなったとのことです。
何の病気なのでしょうか、今なら死ななくて済んだ病気なのではないかと思います。
ボクの父の四兄"愛吉"は大正6年12月1日に三石村大字けり舞51番地にて出生しま . . . 本文を読む
父の女兄弟は、戸籍上9人もいます。
しかし、うち6人は幼少期に亡くなっています。
そして、残り3人のうちの1人、四女アキは明治41年12月10日に生まれ、昭和9年2月25日に浦河町の川崎徳太郎方において死去したとあります。
享年25歳でした。
(川崎家に入籍はしていません。)
彼女について、ボクが知っていることはありません。
伯父の清とか喜之助の生前、聞いておけばよかったのにと思います。
今回の . . . 本文を読む