アナーキー小池の反体制日記

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#1483 母方の祖父 竹中鍋太郎(上)

2014年06月30日 | ボクのルーツ
カテゴリー”ボクのルーツ"で、父方の曾祖母から伯父伯母を6年前、#174~190で紹介したところです。
母方のもそのうちと思っていましたが、系統立てての記述は何もせずじまいでした。
今回から数回に分けて連載します。

母方の祖父 竹中鍋太郎(なべたろう)です。
面白いネーミングです。(ちなみに弟を釜次郎と命名はしてません)
ボクが高校生のときに亡くなりましたので、よく憶えています。

明治30年(1879)2月24日渡島国松前郡福山町に生まれました。(福山町は1940年松前町と改称)
父は健次郎、母はトメです。
ところが戸籍謄本には、「基本戸籍ニ因リ届出人・氏名・及出生ノ場所知ルコト能ハサルニ付ソノ記載省略」とあるのです。
昭和40年代に戸籍追跡調査を行った鍋太郎の次男勝美によると、昭和初期の松前大火(函館大火?)で役場が焼け落ち戸籍が消失したとのこと)
勝美作成の”竹中家親族関係図”には、父健次郎の出生地は不明だか、母トメは越後出身と記されています。
ボクからみて曽祖母にあたるトメは、新潟出身なようです。

祖父・鍋太郎は大正11年2月1日に、様似郡様似村字岡田無号地、柳橋紋四郎三女”さとゑ”と結婚しています。
結婚を機に戸籍を取り寄せようとしたけどかなわず、新戸籍を作製したものと思われます。
大正11年には住所が様似郡様似村大字鵜苫村無号地になっており、その後の字名改正地番変更により、様似町字鵜苫101番地となりました。
ちなみにこの地にはその後、鍋太郎の長男猛が住み、またその後、猛の長男博章が現在も住んでいます。
少なくとも、92年もの長きにわたり一族が住み続けるなんて、奇跡的です。(本当は百年以上ではないかと思っています)

松前町ないし函館市で育った鍋太郎がなぜ様似へ来たのか、その辺の経緯は知りません。
ただ、母や伯父たちから北海道の職員だったとは聞いていました。
様似町鵜苫にいて北海道職員が何をしてたのだろうか、と疑問に思っていたのです。

こちらに勤めてから10年か20年後、ボクは滝川市立図書館で”浦河百話"という本を借りました。
浦河町の正史の番外編ともいえる、面白い書物でした。
その中に、竹中鍋太郎の名が出てきたのです。
浦河町は様似町の隣町です。
その浦河町に全道初のサケ・マス孵化場ができたのです。(大正なのか昭和の初めなのかは忘れましたが)
その初代場長がボクの祖父、竹中鍋太郎だったのです。

続きます。
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