♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし- 16 / 大嶋重徳

2017年06月22日 | Weblog
2017/6/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

第二戒には戦いがあることを学んできました。キリスト教会はこの地上において旅人であると言われます。つまりこの世にあってこの世の者ならずという性格があり、神様の眼差しで世界を観ています。そして地上において偶像化する何かしらの権力に属することもせずに、ひたすらやがて完成する神の国を待ち望むのです。

 時に教会と国家の関係を声高に語ることは日本の宣教の前進を阻むものだという指摘をされることがあります。信仰とは心の内側のものであって、心の外の政治のことを言うべきではないと言われるのです。しかし第二戒は信仰を内側のものだとは言いません。神を神とする戦いを戦うことなく信仰を内面化させていくことは十戒の指し示す私たちの自由なる生き方の向きとは大きく異ります。

 こういうことは信仰を持っている人だけのことなのでしょうか。そうではないと思います。この切迫した時代の中で、時代の流れに流されていく訳にはいきません。第二戒の戦いを戦うことなく捧げている礼拝が日本の教会にあるのなら、その礼拝は私たちの都合の良い偶像を刻んでしまっていることはないか、ということをよく問い直す必要があるでしょう。第二戒はキリスト教会の中で、自らの信じやすい神を刻み始めていないか、という自覚も喚起させます。

 さらにこの第二戒の戦いを戦う場所は、私たちの主の日の礼拝だということを忘れてはいけません。イエスこそ主であり王であると高らかに告白するのは礼拝だからです。もし週ごとの礼拝が崩れてしまい、政治的なデモに出かけてしまうようになるのであれば、教会はその中心が崩れていきます。礼拝こそ私たちが神を神とするということを告白し抜く場所なのです。キリスト者において第二戒の戦いは祈りの戦いであり、神のことばによる戦いです。ぜひ礼拝に行っていただきたいと思います。礼拝こそが自由なる生き方へと解き放ってくれる場所であることを第二戒は思い起こさせてくれるからです。

  ( PBA制作「世の光」2017.6.22放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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