♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ 国家エゴと個人エゴ

2004年11月25日 | Weblog
 お元気でいらっしゃいますか? 世の光の榊原 寛(ひろし)です。

 司馬遼太郎さんの講演集の中に、国家のエゴが重大な課題になる、という項目でですね、このようなくだりがありました。

 「国家が国家間で発揮するエゴこそが21世紀の重大な課題になるでしょうし、この課題が人々のレベルで解決されない限り、我々の子孫は壊れてしまった地球しか相続しないでしょう。」

 まあ国の盛衰は国家がしっかり考えよっていうんじゃなくって、人々のレベルで解決されない限り、壊れてしまうっていうんですねえ。つまり一人一人のレベルで真剣に考えなきゃならない時に来ているんだ、まあそれは本当だと思いますね。

 なおこの事に関して司馬遼太郎さんは、こんな事を言っています。「国家エゴがあってもかまわないと思いますが、しかし、地球上の人々という国家が今まで思考した事がないレベルで考え、感じ、行動する国家に変えない限り、また国家が持つ利己的欲望の生理機構から毒性を少しでも抜かない限り、我々はこの怪物のような21世紀国家を子孫に受け渡すべきではないと思います。ニトログリセリン入りのビンを坂の下にいる子どもに向かって、これを受け取れ!、と言ってころがすようなものでしょう。」こんなふうに言っているんですねえ。

 一人が国家のことを考えたとしても、自分一人でどうなることでもないと思ってしまいますけど、私たちの住んでいる町についてはどうなんでしょうか。私たちの住んでいる隣近所はどうでしょうか。私たちの家族はどうでしょうか。やっぱり一人一人が考えなくちゃならないと思うんですね。

 司馬遼太郎さんは、国家が持つ利己的欲望の生理機構から毒性を少しでも抜かない限り、と言っていますが、国家が持つ利己的欲望はもちろんですけれども、私たち一人一人が持つ利己的欲望の生理機構から一人一人の毒性を少しでも抜かない限り、町が破壊され、家庭が崩壊されていくんじゃないだろうかと思うんです。

 キリストが言われました。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして主なる神を愛しなさい。また、自分を愛するように自分の隣人を愛しなさい。」このキリストの命令を、ある意味においては徹底的に追い求める必要があるんじゃないかなあって思うんです。

 すでに家庭が崩壊し、人の心が壊れていると言われている時です。それにもかかわらず、なお日本は経済的な豊かさや物質的な豊かさを追い求めているんじゃないでしょうか。そしてそれが心の豊かさの保証であるかのようにどっか錯覚しているような気がしてなりません。今や一人一人が心を貧しくして、まことの神を求めて、まことの神のもとで修復される必要があるんじゃないだろうか。そんなふうに感じるんです。

( PBA制作「世の光」11/25放送でのお話しより )
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■必要をみたすお方 | トップ | ■御霊の実「平安」 »