世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいですね。
今日は聖書のことばをまず紹介いたしましょう。新約聖書ヨハネの福音書3章16節。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
まあこのことばは「聖書中の聖書」「万人の聖句」と呼ばれている有名なことばです。マルチン・ルターという人はこのことばを世界中の人が見えるように大空に掲げたいと言いました。なぜなら、聖書全体がここに凝縮されているからなんです。聖書を理解する近道はこの聖書の箇所から学んでいくことなんですねえ。
今日私はあなたにぜひ知って戴きたいことをお話ししたいと思います。それは、神は世を愛されたということなんです。
世とは一体、誰のことでしょう。実はそれは私たち一人一人のことなんですねえ。ですから世ということばをあなたの名前に置き換えて言ってみたらどうでしょうか。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、関根弘興をそしてラジオを聴いているあなたを愛された。」って言うんです。
あなたは愛されているっていうことを聞いて怒り出すことはないでしょう? 「かってに神様は、あなたを愛しているなんて言いやがって、頭にきちゃうよ」そんな(ことを言って怒る)人は一人もいませんよね。
神様の愛って一体どんな愛なんでしょう。聖書は、神はそのひとり子をお与えになるほどにあなたを愛されている、と記しているんです。神様の愛は、そのひとり子を与えるほどの愛だと言うんですねえ。それはどういうことかと言えば、最も大切なものをあなたに差し出すほどに私はあなたを愛しているのだよと言うんですよ。
そして愛というのは、必ず具体的な行為が伴うものです。口先だけでは愛ではありません。例えば川で溺れている人がいたらどうしますか。川岸に立って「今からクロールの泳ぎ方を教えるから」と講釈することが愛ですか? 違いますよね。救命具を投げ、どうにかしてその人を助けるために自らの犠牲を惜しまない姿こそ愛の姿です。神様はあなたを愛しているということは、あなたの人生の最善を願い、あなたのために犠牲を払うことさえも惜しまないというそういう愛だと言うんです。神のひとり子なるイエス・キリストはあなたのために、それもあなたの罪のために、あのむごたらしい十字架で身代わりになって命を捨てるために来てくださいました。命を捨てるほどの大きな愛がここにあるのです。
あなたは愛されています。イエス・キリストの命がけの愛によって愛されているんです。
( PBA制作「世の光」2006.12.26放送でのお話しより )
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