♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十字架と復活をめぐる人々 <打算で動いたユダ>

2010年03月29日 | Weblog
2010/3/29放送

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。 

 今日から二週間に渡ってイースター・スペシャルをお届けいたします。 今日はその第一日めになる訳ですけれども、イースターというのはキリストの復活のことを意味しますねえ。 当然、復活の前にキリストは十字架につけられて死なれたっていう訳ですが、そのキリストが十字架につけられることのために一つの役目を果たした人物という人がいますねえ。 ユダはキリストの弟子の一人であった訳ですけれども、結局裏切って、キリストを銀三十というお金でキリストを捕まえたいと思っている人たちに売り渡したという、ま、裏切りの象徴的な人物として描かれている訳ですね。 

 で、讃美歌の中にも「ユダにはなるまじ、心の底より」(聖歌 433番/新聖歌 404番『弟子となしたまえ』)っていう歌があるんですけれども、誰もユダにはなりたくない、つまり裏切り者にはなりたくない、ということですね。 

 ですけどイエス様が「この弟子たちの中にわたしを裏切る者がいるよ。」っておっしゃった時に他の弟子たちも「私じゃないでしょうねえ。」ってこうみんな代わるがわる聞いた、って書いてあるんですね。 みんなの中にもやっぱりこう裏切りの要素と言いましょうか、そういうものを持っているのじゃないのかなあというふうに思うんですねえ。 

 あのう、罪というのは裏切りだというふうに定義した人もいます。 それはほんとに信頼を裏切る、または愛情を裏切る、期待を裏切る、私たちの心の中にはそういうようなものってありますよねえ。 このユダという人は、まあ言うならば打算で動いた人かなあというふうに思うんです。 彼は会計を預かっていて、で、そのお金をちょっとこうまあ誤魔化してですねえ横領してたようなことが聖書の中に出てきます。
 
 そして使徒の働きの1章の所(25節)を見ますならば、「彼は自分の行きたい所へ行った」というふうな言い方があるんですね。 つまり彼は、いつもこう自分の野望を果たすためにキリストの弟子となって、どうも旗色が違う、自分が考えている方向とは違うようだというふうに思っていました。 で、ある女性の人がイエス様のために貴重な壷を全部割って注いだ時に、「なんてもったいない、馬鹿なことをするんだ、それだけ売ったらどれだけのことになるのか。」というふうな計算をする。 つまり打算で動いて、その自分の打算の通りにうまくいかない時にはそれを裏切ってしまう、というようなそういう傾向ですよね。 私たちのためにもそれがないとは言えない。 キリストを十字架につけたというその背景には人間のもつそのような打算で事をなしていくというそういうような要素があったのかなあと思わされますねえ。 

  ( PBA制作「世の光」2010.3.29放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ



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