♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし 68 / 大嶋重徳

2018年08月23日 | Weblog
2018/7/19放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。 聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。
 十戒第六戒には「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。十戒第六戒を生きようとするとき、第六戒の解釈の歴史も考えておかなければなりません。なぜならば第六戒こそ、幾つもの解釈がなされ、歴史的に教会の立場を大きく分けた戒めだからです。つまり、殺しても良い、例外的な解釈をしたい、と願われてきた戒めでもあるからです。

 ある研究では、十戒第六戒で用いられる「殺す」ということばは故意の殺人の際に用いられるのであって、戦争による敵の殺戮や神のさばきのもとに服した人間の死には用いられていないという人たちがいました。そのため第六戒「殺してはならない」は故意の個人的な殺人の禁止を意味しており、戦争の禁止や国家における死刑の禁止を言っているのではないという主張がされることとなります。

 また旧約聖書では、戦争が神の命令によってなされていた記事を根拠に挙げ、この第六戒の「殺してはならない」はある限定性を帯びているとも考えられたのです。そして殺すことも可能にする正義の戦争という思想がキリスト教会に生まれてきました。この正義の戦争の概念は、既にキリスト教会の中で4世紀頃から既に生まれていました。正義の戦争とは正しい原因で正しい意図を持ち、適切な方法で正当な当局が行い、財産が考慮され、非戦闘員への非攻撃がなされる場合、その条件が満たすと言われています。

 しかし立ちどまって考えないといけないことは、その正しさを一体誰が判断するのか、ということです。戦争を行ういずれの国においても自国の正義を必ず謳います。かつて適切な方法とされた残虐な兵器は数知れずあります。世界中の戦地で戦闘員も非戦闘員も次々と殺されていっています。正当な当局も正しい意図も奪われない財産などひとたび戦争が始まればどこにもありません。私たち人間の主張する正しさはどこまでいっても罪に堕落していることを自覚していないといけないのです。

 聖書が「殺してはならない」と言っている限り、正義の戦争などはありません。戦争を支持してきたキリスト教会は、きちんとその罪を悔い改める必要があります。どこまでもどこまでも人が人を殺さない、いのちが生かされる道を愚直に祈り求めていきたいと思います。

    ( PBA制作「世の光」2018.7.19放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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