♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■柔和 / 関根弘興

2016年04月11日 | Weblog
2016/4/11放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 
 今日も新約聖書の中のパウロが記したエペソ人への手紙の中のことばを紹介しましょう。エペソ4章2節(、3節)。
 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
 
 前回は「謙遜」ということについて少し触れましたね。今日は「柔和」ということを考えましょう。「柔和」とは何でしょうか。今流で言えば、「すぐに切れない」という意味もありますし、「途中で決して投げ出さない」という意味もあるんです。

 それでは柔和の見本は一体誰でしょう。もちろんイエス・キリストです。新約聖書マタイの福音書11章29節でイエス・キリストはこう言われました。
 「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

 ここで「優しく」と訳されていることばが「柔和」とも訳されることばです。そして「柔和」とは、他の人の最善のために個人的に向けられる軽蔑や中傷や侮辱やその他どんな思惑によっても決して逸することのない心を指す、と言われます。イエス・キリストのことを考えてください。イエス様は人々の救いのために人々からの軽蔑や中傷や侮辱を受けても決してむやみに怒ったり、その歩みを止めようとはなさいませんでしたね。新約聖書の第一ペテロ2章の21節(~24節)にはこう書かれています。
 「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

 私たちはすぐに腹を立て、すぐに切れてしまいやすいものです。でもイエス・キリストという素晴らしい模範があるんですね。そしてその足跡に従うようにと一人ひとりは招かれているんです。困難や中傷があっても怒ったり諦めたりすることをせず希望をもって祈りつつ柔和な方であるイエス・キリストと共に歩んでいきましょう。

  (PBA制作「世の光」2016.4.11送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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