♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十の言葉(第一戒) / 板倉邦雄

2016年02月10日 | Weblog
2016/2/10放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「十の言葉」の一番目のことば、第一戒を取り上げたいと思います。

 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(出エジプト記20章3節)

 十戒の多くは何々してならないと否定形で書かれています。しかし十戒は積極的な命令の側面もあるのです。この第一戒め、「あなたはわたしのほかに、(わたしの前に)、なにものをも神としてはならない。」とは唯一の父なる神様のみを敬い畏れましょうという積極的なことばなのです。

 私にとってこの地上での父親は一人しかいません。父は長所も欠点もありましたが、私は父親を尊敬しています。目の不自由な母を支え、4人の子どもたちを母と共に育て、訓練してくれました。同様に、私にとって天の父なる神は唯一で生きておられる神です。私にいのちを与え私の人生を育み、訓練を与えてくれているのです。ですから尊敬し畏れています。

 イエス様のことばです。
 「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』・・・」(マタイ4章10節)。
 
 次に第一戒で禁じていることは何でしょうか。
 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 まことの神様以外のものを神とする愚かさを禁じているのです。神に造られ神に支配され神に愛されている私たちは、神の懐に安らぎ、神のお心に適い、神様第一の人生を送るときのみ本当の自由と幸福があるのではないでしょうか。

 しかしながら私たち人間は罪を犯して父なる神様から遠く離れてしまいました。まことの父なる神を見失ってしまいました。それから私たちはまことの神ではない神々を拝むようになってしまったのです。現代の偶像は金や持ち物や暮らし向きの自慢を追求する貪欲という偶像ではないでしょうか。

 私たちは今こそ真の唯一の生ける父なる神様に立ち帰りましょう。この天地万物の創造者である唯一の神、この天地万物とこの世界と歴史そして私たちの人生を支配し治め処理されている摂理の神、そして私たちをイエス・キリストを通して贖い、すなわち救い導いてくださる神のみを礼拝して参りましょう。

 (PBA制作「世の光」2016.2.10放送でのお話より )

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■忌まわしい連中(その二) / 板倉邦雄

2016年02月10日 | Weblog
2016/2/10放送

 
(キリスト教会がお送りする「さわやか世の光」今日も聖書のことばをお届けしてまいります。バイブル・メッセンジャーは板倉邦雄牧師です。よろしくお願いします。)

 はい、よろしくお願いします。

 (新約聖書のルカの福音書からイエス・キリストとユダヤ教のパリサイ派の人々が議論している所をずうっとお話しいただいていますけれども、今日はここに律法学者という人も登場してくるんですよね。)

 そうですね。この律法学者というのはですねえ、モーセが書いた五つの律法の書と言われるのがあります。旧約聖書にね。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、五つありますけれども、そのモーセの律法の解説をする人なんですよ。

 (思いっきり学者さんなんですね?)

 はい。例えばモーセの律法の十戒の第四戒に、「安息日を覚えてこれを聖としなさい」。で、「六日間働いてあなたのすべての仕事をしなさい。しかし七日目は主の安息日であるから何のわざもしてはならない。」ってあるんですね。じゃこの、「何のわざもしてならない」っていうわざは何なのかということで、律法学者たちはそれを研究をして、このわざ、このわざ、このわざ、とこう書くわけですね。

 (ルールブックを作る訳ですね?)

 規則を作る訳ですね。例えばこの時は旅行しちゃいけないね、商売もしちゃいけないね、それから病人が例え治っても床をあげちゃいけないとかね、まあいろんな規則があって、全部で400以上あったと言われているんですよ。この何のわざをしてはならない、が。

 (その一言に関してですか?)

 そう、そう、そう。

 (うわー、ちょっとすごい窮屈な生活ですね。)

 そう。だから、旅行するにもね、行きたいんだけれどできないでしょ、何歩以上歩いちゃいけないんだから。

 (緊急の時もダメなんですか?)

 ダメ。だからねえ、穴にねえ、それこそ自分の動物が落っこってもねえ上げちゃダメだから助けちゃダメだから、安息日は。

 (死んじゃうじゃないですか。)

 でもこっそり上げるんだよ、だから。分かるでしょ? そういうことですよ。

 (そっかあ。でも何かそれじゃあほんとに人のためというよりも、何か人間のためじゃない、目的が違いますよねえ。)

 そうそう。そうですね。だからイエス様はね、律法のために人があるんじゃなくて人のために律法があるんだとイエス様はおっしゃったんです。本末転倒しちゃダメだよねえ。

 (それではバイブル・メッセージ、お願いいたします。今日はどういうタイトルになりますか?)

 今日もですね、「忌まわしい連中 その二」という題でお話ししましょう。先週、イエス様はパリサイ派・分離主義者たちを「忌まわしい連中」として木端微塵に砕いてしまいましたねえ。

 それを聞いていた一人の律法学者・旧約聖書の専門家が、イエス様に詰め寄って言いました。「先生、そんなことを言われるのは私たち律法学者までも侮辱することです。」

 そこでイエス様は言われました。
「あなた方・律法学者も忌まわしい連中だ。負い切れないたくさんの重荷を、すなわち律法を規則を人々に教えています。自分でも守れない、守らない規則や戒律を人々に押し付けています。自分では人々に、押し付けた重荷に、指一本でも触れて助けてあげようとしないじゃないですか。自分ができないこと人に押し付けちゃあダメだ。それにあなたがたは忌まわしい連中だ。あなたがたは預言者たちの記念碑を建てるのに熱心だ。しかし神の預言者たちを迫害して殺害したのはあなたがた律法学者の先祖たちじゃなかったのですかね。先祖の犯した過ちの償いのつもりで預言者たちの記念碑を立てるんだったら、自分の先祖たちのした過ちに同意する証人ではないですか? 先祖が神の預言者を殺害し、あなたがたが彼らの記念碑を建てているのだから。そして今度は私の記念碑を建てますか? 人類が始まって以来、罪のない人々が血を流した歴史は今の時代まで続いています。そして今の時代の人々がその血の責任を問われているのです。やがて忌まわしい連中によって罪のない神の独り子・神の子イエス・キリストは十字架の上で血を流されることになります。要するに歴史から学ばない人間は同じ罪と過ちを繰り返してゆくのです。

 さて第三に、イエス様は言われました。
 「あなたがた律法学者は、忌まわしい連中だ。知識の鍵を取り上げて自分が入らないばかりか入ろうとする人たちを妨害してきたからだ。」

 知識の鍵とは天国に入るための知識の鍵です。天国に入るための知識の鍵は一つです。それは神の独り子イエス・キリストを信じる信仰という知識の鍵です。十字架の鍵ではないでしょうか。この天国に入る十字架の鍵を、人々から取り上げる学者たちは災いです。しかしイエス・キリストは私たちにこう言ってくださいました。
 「すべてを重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。」 マタイの福音書 11章28節

 (PBA制作「さわやか世の光」2016.2.10放送でのお話より )

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