♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悩める者をあわれまれる  / 福井 誠

2015年12月03日 | Weblog
2015/12/3放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「悩める者をあわれまれる」です。それではイザヤ書49章13節から読んでみましょう。

 「天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。

 この箇所の7節から13節は一般に「しもべの歌」と呼ばれています。しもべは捕らわれ人・闇の中にいる者を解放する者で、直接的には既に何度も出てきたクロス王のことを言っているようです。神はクロス王を用いて捕囚の民イスラエルを解放するのです。そのように神から遣わされたしもべがいると。

 しかしこの箇所を読んでいくとどうもここでしもべと呼ばれている人物はクロス王だけをイメージして語っているのではないようですねえ。13節以降、「天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。」と語っており、それは捕囚からの解放、エルサレムの再建を越えて、未来のいや終末的な人類の解放・救いをもたらす人物について語っているようです。

 そして「わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」(49章23節)というお約束が語られています。私たちには、神に従う中でこのままで良いのだろうか、と思うことがたびたびあるものでしょう。神を信じても何も変わらない、何も起こらないし何の救いのしるしすら見ることができないと。

 しかし神は二つの喩えをもって約束の確かさを告げられます。
 一つは、「たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」(49章15節) 母親の愛の深さを取り上げて、「母親が乳飲み子を忘れる訳が無い。ならばまして神は」と言うわけです。

 またもう一つは、手の平に恋人の名を刺青する古代の習慣を取り上げて、「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(49章16節)と言います。「実に神は私たちの名を自分の身に刻むほどに私たちを愛している。ならば神が約束を果たさないことがあろうか。」と言うわけです。

 神のこのことばを真実としていくか否かが問われているのですね。ぜひ神を信頼し、神のあわれみを受け、祝福の結果をつかむ歩みをしたいものです。

(PBA制作「世の光」2015.12.3放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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