♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り 43 ゆるし / 大嶋重徳

2015年11月24日 | Weblog
2015/11/24放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。聖書にはイエス・キリスが私たちに教えてくださった「主の祈り」という祈りがあります。主の祈りには「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」ということばがあります。この祈りのテーマは「赦し」です。

 親に深く傷つけられ今も親を憎んでいて親を赦すことができない、ということがあります。先日、ある友達が「親にされたように自分の子どもにしてしまう自分がいるんだ。」と話してくれました。自分はあんな親のようにはしたくないと思いながら自分もあんなふうにされたんだから自分だけがこんな目に遭うのはひどい、と自分がされたようにいつの間にか同じことをしそうになる。赦せないということは赦しのない人間関係を世界中に広げ、連鎖させていくこととなります。

 しかしこの主の祈りは宣言します。私はあの人を主にあって赦します。しかし実際は宣言した後に何度も赦せないという思いになるのが本当の所でしょう。無理やり「赦す」と自分に言い聞かせても、怒りはすぐに込み上げてきます。しかしそのたびに自分こそが神様の赦しが必要だと知らされます。「我らの罪を赦したまえ。」と、そして祈るんです。そしてそのたび私たちはイエス・キリストの赦しのことばを聞きます。それから今一度繰り返し宣言するんです。「私はあの人の罪を赦します。」

 この途方もなく続くように思うこの祈りは、しかしやがて確実に本当に赦せるという方向に向かっていくのです。この主の祈りのサイクルを私たちは繰り返していくのです。そしてやがてこの主の祈りを続けて行くとき、神の赦しを人に分け与える人となっていくのです。赦せない自分の弱さを認め、赦せなかった自分の弱さを知っている人こそ、人を裁かず、人の弱さの傍らに立つことができます。

 私たちが赦すことのできる報酬は何でしょうか。それは神様の赦しを知って、もっと赦せる人となっていくことです。クリスチャンとは誰のことをも赦せるスーパーマンのような存在ではありません。むしろ赦せないその人と共に神の赦しを受けるために一緒に神様の前に出て行くことのできる存在です。その時、神の赦しが私たちの上に降り注ぐのです。その赦しを全身で受け取っている人から赦しは溢れ出ていく。赦しを祈る祈りは怒りの鎖を立ち切り、世界を赦しの輪で広げていくのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.11.24放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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