♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■孤独な者への神の愛 / 岩井基雄

2012年11月02日 | Weblog
2012/11/2放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇68篇5節から6節です。

 「みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。」 旧約聖書詩篇68篇5節から6節

 私たちは孤独の世界に生きている、と言われますね。他人との関わりが希薄になった現代、田舎でさえ隣り人がどういう人か知らないという人もいらっしゃるようです。「孤独は山にではなく街にある」と言ったのはパール・バックだったでしょうか(※)。あなたも孤独を感じることがありますか? 

 この詩篇の最初にはみなしごややもめという表現があります。自分の親を知らずに育ったり大切な家族を失ったりした方もいらっしゃるかもしませんね。しかし聖書は、そんな人の本当の父となり正しいさばきを行われる方は聖なる住まいにおられる神だ、と言うのです。

 この詩篇を書いたダビデも先の王サウルに憎まれて命を狙われ、ひとり荒野を逃げまどうという孤独を経験しました。敵の国に身を寄せ、狂った人の振りをしなければならなかった程に、彼は常に恐怖や孤独を抱えていたのです。しかし彼は知っていました。聖書が語る神様は、寂しさを抱え身を寄せる場所もない孤独な人をご自身の臨在の中に招かれ、彼らの父そして正しいさばき人となってくださることを。

 どんなに深い孤独や不安や恐れがあっても神様はそのような者をこそ神様の家に招いてくださるのです。そして神の愛はそこににとどまらず、囚われ人を導いて栄えさせるのです。囚われている人をも神様は導かれ、人の思いや立場を超えた豊かな祝福を与え、栄えさせてくださるのですね。

 しかし神様は頑迷な者を祝福することはできません。自らの弱さや孤独や痛みを認めず、おのれの力を過信し本当の神を認めない頑なな者を神様は祝福から遠ざけられます。

 あなたはいかがでしょうか。自らの孤独や悲しみを認め神の恵みと祝福を受け取るとき、あなたにも本当に幸いな祝福された人生が用意されているのです。

(PBA制作「世の光」2012.11.2放送でのお話しより)


 ※哲学者・三木 清 「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。」 (「孤独について」『人生論ノート』)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする