♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■道、真理、いのちである方 /岩井基雄

2011年03月25日 | Weblog
2011/3/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。 さっそく今日の聖書の箇所をお読みします。

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 新約聖書ヨハネの福音書14章6節

 孔子は論語の中で「朝(あした)に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」と語り、朝に人間の道・真理の道を知るならば、すぐに死んでも悔いはないと表現しました。孔子もまた真理の道を求めた求道者であったのでしょうね。そして多くの人が真理を探し求めています。

 しかし、ここでイエス・キリストは自分自身が道であり真理であり命であると表現しました。孔子を始め、多くの人が求めている真の道がイエスの内にある。いや、イエス・キリストこそ道そのものだというのです。どういうことでしょうか。

 この「道」とは父のみもと、すなわち、天地万物を創造された神様のもとに行く道を示しています。それは真理に至る命の道のことです。単に人の心を磨き成長する道ということではなく、天地万物を創造されたまことの神のもとに行く道はたった一つ、それはイエス・キリストだと聖書は語っているのです。

 なぜでしょうか。きよい神のもとに行くには人はきよくなければなりません。しかしこの地上にいる人できよい人、罪のない人は誰もいません。すべての人は自己中心なわがままな心、罪を持っているからです。神だけが罪のないお方です。ですから、もし罪のない人がいるとするならば、それは神が人となられる以外にありません。すなわち人となられた神であるイエス・キリストだけがきよい方であり、私たちを神のもとに導くことのできる唯一のお方なのです。

 そしてイエス・キリストは私たちの罪を許しために私たちの代わりに十字架にかかりました。誠にきよい人だけが私たちの罪の身代わりになることができます。

 人となられ、私たちの罪のために代わりに十字架にかかってくださったイエス・キリストこそ、道・真理・いのちなのです。あなたも救い主イエス・キリストの道を通して神の元、真のいのちと平安へと向かい始めませんか?

   (PBA制作「世の光」2011.3.25放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しく
はPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。
日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。
予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。
問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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