♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■わたしはある、というものである

2010年07月01日 | Weblog
2010/7/1放送

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブルメッセージは「わたしはある、というものである」です。 それでは出エジプト記の3章14節から読んでみましょう。

 神はモーセに仰せられた。
「わたしは、『わたしはある。』という者である。」
 また仰せられた。
「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。
 『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」


 最近教会のメンバーに赤ちゃんが与えられました。 母親に抱かれたかわいい赤ちゃんを見ながら、人間が依存的な存在であることを改めて思わされました。

 確かに人間は誰かが世話をしなくては生きていけないという弱さをもって誕生します。 しかし成長し大人になったとしても人間というのはどこか依存的であって人の繋がりの中で人生を生きているものですねえ。 老いて死を迎えるときも人間は支えを必要としています。 結局人間というのは成長し自立していく存在のように見えてもそうではなくて、一人では決して生きていけない存在なのですねえ。

 しかし神はそうではありません。 神は自立的で何ものにも依存されない存在です。

 旧約聖書の中にモーセという人物が出てきます。 モーセが自分を指導者として立ててくださった神に「あなたはどういう方なのか名前を知らせてください」と尋ねるそんな場面があります。 そこで神はモーセに「わたしは『わたしはある』というものである」と答えられるのです。 つまり、「わたしは存在している者である」と。 誰かが認めようと認めまいと確かに存在している。 この歴史が始まる前から存在し、今存在し、この歴史が終わってもなお存在している。 人間とかかわることもなく、永遠に存在している。

 別の言い方をすれば、神という永遠に存在されるお方が人間の世界を造り、その歴史をスタートさせたからこそ人間は存在するに至ったのです。 私たちを守り、私たちの生活を支えてくださる神がおられるからこそ人間は存在していると言えます。 私たちの存在の根源である神を覚えて、自分が何者(か)であるかのように思い上がった錯覚をすることもなく、謙虚さと慎みをもって今日も歩んでまいりましょう。 

  ( PBA制作「世の光」2010.7.1放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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