♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■パンと魚

2006年09月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日も一日さわやかに過ごしていきたいものですね。

 ある時イエス様が、ガリラヤ湖を見渡す小高い丘に行った時、ま、そこに約5千人の人々がついて来たと書かれています。ま、これは男性の数だけですから、女性や子どもを入れると、1万人以上いたかもしれませんね。この大群衆を御覧になってイエス様は弟子に、「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」(ヨハネの福音書 6章5節)と言われたのです。すると弟子は大変合理的な答えをしました。「イエス様、めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリ ---この二百デナリというのは当時の二百日分の労賃にあたるんですねえ--- 二百デナリのパンでは足りませんよ。」まあ、こういうふうに言ったんです。「まあどう見てもこの人たちに食料を与えるなんて無理だよう」っていうことですよね。その時に、弟子の一人でアンデレという人が、弁当を持った少年のことをイエス様に報告しに来たんです。ま、ところがその弁当は、大麦のパン5つと干した小魚2匹で、ま、当時の最も粗末な食事だったんですねえ。アンデレ自身、イエス様に報告した後、「しかしこんなわずかなものでは何の訳にも立ちませんよね」と何となく罰が悪そうな様子です。

 しかしこの出来事は、私たちに大変勇気と麗しい光景を見せてくれるものになりました。それは、どんなに役立たそうにない粗末なものでもイエス様はそれを用いてくださるという素晴らしい真理なんです。考えてみてください。この弁当は少年が持っていたものです。イエス様に食べていただこうと差し出したものではないかと思うんですね。まさかアンデレが無理矢理、子どもの弁当を取るはずもありませんからねえ。粗末な弁当です。でも少年にとっては大切なものです。それを差し出せば自分は空腹のまま我慢しなければならないのです。しかしこのわずかなものを差し出す勇気をイエス様は最大限に用いてくださいました。何とそのパンと魚をみんなに裂いて分けるようにと弟子たちに命じられたんです。するとそこにいた大勢の人たちが満腹になったっていうんですねえ。イエス様に差し出した粗末な弁当が何千人という人を養うことになったんです。

 何とダイナミックな出来事でしょう。出発は、捧げるという小さな小さな少年の行為から始まったんです。自分のものは自分のもの、人のものは自分のものとしてしまうような生き方もあります。でもそんな人生は結局貧しくなるだけです。でもあなたの持てるものを、イエス様お使いくださいと差し出す時、結果的に豊かにされるんですね。与えることは失うことではなく、豊かさの入り口でもあるんですよ。

 ( PBA制作「世の光」2006.9.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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