世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。今日は、苦しむという辛いことにも意味があるってことについてお話をします。
私たち、生きている限り必ず苦しむことがありますね。いいえ、苦しむことは生きている証拠であるとも言えるのではないでしょうか。大切なのはその苦しみに負けてしまって挫折したり閉じこもったり、命を絶ったりしてしまわないということです。苦しみには実は深い深い貴重な意味があるんだということを理解していく時に、うまく対処していく、ま、それが大切なように思います。
一つの例ですが、インドネシアから留学して優秀な成績を残して帰国して今名門バンドン工科大学の助教授をしている私の友人がいます。彼は日本の東京工業大学で博士課程まで優秀な成績を収めました。5年間で何と31の論文を書きました。そのうちの4つは海外で招待されて発表する、そんな優秀な方です。でも彼は卒業後、研修中に突然目の病、原因不明、数カ月入院して本当に苦しみました。私も何度も訪問してお祈りしました。ようやく治って回復した後、こんなふうに彼はみんなの前で言いました。「自分は病に倒れて初めて自分というものを知った。人間とは何とはかないものか、この数カ月、聖書を貪るように読んだ。神様が今までになく身近に感じるようになった。そればかりではなく、入院中に同室者たちと一緒に喜びを喜べるようになった。悲しみを共にできるようになった。そして毎日生かされている・生きている、何でもない自分の存在・生活、それに感動・感謝の心を持つようになった」って言うんですねえ。
瞬(まばた)きの詩人と呼ばれた水野源三さんは重度の脳性マヒで一生寝たきりでしたが、聖書に出会いキリストの愛と恵みを知って、ま、詩にこんなふうに言っています。「もしも私が苦しまなかったら神様の愛を知らなかった。もし主なるイエス様が苦しまなかったら神様の愛は現れなかった。」むしろ苦しみを通して本当に生きる意味、それを知ったというだけではなく、神の愛をキリストの内なる永遠のいのちをそれを実感できていく、そんな意味があったのだというのです。
こういう理解や多くの人の体験を通して私たちはどんなことが起こっても乗り越えていく心の備えができていくのではないでしょうか。
(PBA制作「世の光」2006.05.19放送でのお話しより )
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