すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

子どもとボランティア

2011年08月27日 | 災害

 大震災で被災した地域に多くのボランティアが訪れていただいています。泥掻きやガレキの撤去に汗を流していただき、ボランティアセンターは無くなり災害復興支援センターに名を変えています。

 泥掻きはだいぶ片付いたもののボランティアはまだ続いていました。大友克寿議員から紹介された、「地域の芽生え21」の桑原さん達総勢40名がバスで昨夜東京駅を出発し車中泊で、今朝岩沼に着きました。

 特定非営利法人「地域の芽生え21」はボランティアを募集し、環境・衛生ボランティアを実施しています。ヘドロやガレキから大量のハエや蚊が発生している中、被災地に噴霧器で除菌活動をしています。

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 カンファスイという薬品を散布することでハエや蚊の発生を防ぎ、ハエが好む菌を殺菌することでハエを減らす効果があるそうです。岩沼は3度目の来訪で早股や蒲崎地区にも既に実施済みで効力を発揮しています。

 ノロウイルスやインフルエンザにも有効な薬品を親子で、またはペアで噴霧器を背負い被災家屋や雑草が生い茂った草むらに汗を流していただきました。

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 引率の桑原さんは、親子で来る方は子どもにも被災地を見せたい意向があると聞きました。小中学生が被災地を見て、ボランティアとは何か、助け合うことの意味を学んでほしいと思っているそうです。

 ボランティアは全国各地から集まっており、交通費として大人5,500円、小中高校生は4,000円掛かりますが再来週まで予約が満席だそうです。持参した薬品は全て使い切り3時に終了し東京に帰られました。

 小学生も出来るボランティアに、敬服しきりでした。


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放射能汚泥をどこに、

2011年08月19日 | 災害

 宮城と福島の県境に位置する福島県沖で、マグニチュード6,8(深さ20km)の地震が発生しました。震度5弱と速報されたが岩沼は震度4と訂正され、津波注意報も発令されたが津波は観測されず大きな被害も報告されていません。

 今回の地震も自宅に居て「大きいな」と感じて怖かった。自宅は目立った被害は無いものの大震災で受けた壁の亀裂は、少しずつ大きくなってきたような気がします。自宅を見回った後に自転車で近隣を走り回りました。

 街も停電や断水といった目立った被害はなく、むしろ平穏そのもので警察や市役所のパトロールが目立つ程度です。マグニチュード6,8は決して小さくありません。

 地震に慣れてしまったわけではないが平穏だと思ったら、大型のスーパーマーケットには人が殺到していたような気がする。(備えあれば憂いなしかな!)

 道路はこれまでの震災で亀裂が入ったところを白いスプレーで着色されているが、新たな亀裂も発生していました。陥没しているヶ所や隆起しているヶ所を今後どう復旧するのか思案するところです。

 昨日ブログに放射能に関するコメントがあり、学校や人が集まる場所の放射能を除去して欲しいとコメントありました。そのことで考えていたのですがこのような事案を国は早く対応しなければなりません。

 残念なことにその対応が全くと言って良いほどなされていません。放射能を含んだ汚泥や土壌を除去することはよいが棄てる場所を決めていないのが現状です。

 福島第一原発から主に東日本へ散らばった放射能は、セシウム134とセシウム137が主な放射能として残存しています。セシウム134の半減期は2年であり、セシウム137は30年を要します。

 福島の飯舘村が放射能汚染で全村に避難勧告が出され、全員が避難した報道を聞きました。その中で飯舘村を放射能の保管場所にしてはどうかと検討していたことを報道していました。(その後は不明ですが!)

 誰もが他所から危険な放射能を持ち込むことは反対します。郷土が放射能に汚染されることを望んでいる人はいません。しかし保管する場所を決めなければ除去できないのです。放射能は持ち出すのではなく各自治体で、処分(保管)するしかないと考えています。

 陸前高田市の松が京都の送り火に用意した松から、微量な放射能がでたことで中止になった経緯があり、今度は千葉県成田山新勝寺でも地域住民から放射能に関し敏感になっています。

 最近の政局を見ていると危機管理が足りないのではないかと思うのです。マグニチュード6,8の余震を感じて、備えあれば憂いなしではないが放射能にもっと憂いをと思うのです。

 放射能汚染の処分は、国も地元も対策をしましょう。


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学校制服と議会の平服

2011年05月27日 | 災害

 大震災から2ヶ月半が経ち岩沼では仮設住宅の目途がつき、落ち着きを取り戻しそうです。(でも、これからが大変です) しかし、福島第1原発事故による被災地は、未だに将来像が見えないなど想像を絶する状況にあります。

 河北新報に浪江高校3年の女子生徒が、一時帰宅で思い出の詰まった制服を持ち帰ったことが記事にありました。事故直後は川俣町、猪苗代町と県内を転々とし、今は会津美里町の学校に通っています。

 一番の望みは浪江高校に戻ることだそうです。思い出がたくさんあり、友達に会いたい。そして浪江高校で卒業したい。原発事故は単なる日常的なことを普通で無くしてしまいました。

 私は無難に過ごした高校生活で、制服に対する強い思いはありません。しかし、服装はどんな服を着てよいか、悩まなくて済んだことだけは確かです。

 明日は岩沼市民図書館の開館式です。震災の影響で遅れていた開館式が執り行われます。総工費約10億円をかけ蔵書数は5番目の県内規模となります。

 今日、議会から岩沼市民図書館の開館式の服装について(事務連絡)なるものがFAXで入りました。内容は次の通りです。

 「明日(5/28)の岩沼市民図書館の開館式の服装について、教育委員会より職員は、背広での参加としておりますので、議員の皆様も平服での参加をお願いしたい旨の連絡がありましたのでお知らせいたします」

 震災後の議会ではほとんどの議員が作業服や平服で出席し、全員協議会や各委員会に参加しています。市執行部も作業服での出席です。このことを踏まえ議員へ通知することに至ったと思います。

 4月22日の午前は中学校の入学式があり、その際来賓として出席した議員は背広で式に参加し、午後からの全員協議会は作業服に着替えての会議です。これって、パフォーマンスかなと思うのです。

 平服の意味を広辞苑で調べると「日常に着る衣服、ふだんぎ」とある。しかし、この場合は意味合いが違う。職員は背広で参加とあるから我々議員も背広でしょうね。だからといって、

 議会外の服装まで指示されるとは、救いがたい議員?

コメント (3)
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BBQの続き写真から

2011年05月23日 | 災害

 ブログを見ましたと電話があり、本人もBBQパーティに行けば良かったと残念がっていました。今日のブログは休みますと言ったが、写真が届き昨日の続きです。

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 ボランティアは焼き鳥、焼き肉、焼き芋と大忙し。

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 焼き鳥や焼き肉に老若男女の皆さんが長蛇の列。

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 みんな嬉しそうな顔です。子供達の笑顔って良いね!

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 ボランティアの皆さんと私(右から2人目)、大人の笑顔も負けていません。でも、私は笑顔の写真が苦手なんです。

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 皆さんから岩沼へ、元気をいただいた一日でした。

コメント (2)
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BBQパーティで元気

2011年05月22日 | 災害

 昨日、中韓の首脳が宮城を訪れ、被災地や避難所で黙祷や激励をしていただいた。日中韓首脳会議のために来日しているものだが、名取市閖上を訪れました。

 隣市の名取は今でも136人が行方不明で、死者数を併せると1000人以上です。両首脳は現場を実際見ることで何を感じたのだろうか。私達は震災前の風景が思い描けるから、現場を見ると悲惨さがより辛くなる。

 しかし、悲惨さばかりを言ってはいられません。復興に向けた手段は何が必要でしょうか、自立していくための経済的な復興や、元の生活に近づく地域の絆などではないかと考えます。

 昨日のブログでも紹介したが、被災者にバーベキュー(BBQ)パーティで元気を出してもらおうと、東京から岩沼の仮設住宅へ来ていただいた団体があります。大勢集まった中に井口市長の姿もありました。

 仮設住宅街に雨よけのブルーシートを張り、砂利が敷かれた場所は雨で足場が悪かったけど活気はありました。宮内庁御用達の高級な肉とウィンナーソーセージ、それに焼き鳥が炭火で焼かれ辺りを包む。

 日本酒は山口県の銘酒、獺祭(だっさい)を持ち込んでいただきました。ところで獺祭って知っていましたか?この獺祭、高級な香りと水のような喉越し、とにかく旨かった。(被災者でありませんが、ご相伴させていただきました)

 その脇に焼き芋の釜があり、芋は鹿児島産の安納芋(あんのういも)、種子島でしか採れない高級芋です。普段私達が食べている焼き芋価格の3倍はします。

 他にも外国のフェダーチーズなど珍しいものばかり、とにかくお金は掛かっています。また、ポップコーンの機械を持ち込んで子供達に振る舞っていました。

 それだけではありません。大阪から「がまの油」を演ずる笑劇者サムライ、外国で活躍していた世界的な和太鼓奏者、そしてアメリカ人画家のペイントクラスさん。

 飽きの来ない楽しいひとときで、復興に向けて元気を出してもらおうと様々な手を差し伸べていただきました。今から一ヶ月前なら酒飲んで焼き肉などとはヒンシュクものだったと思います。

 いらぬこと思い浮かべるから、焼き芋を食べ損ねた。


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