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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

愛されるダビデ王

2013-11-08 21:17:36 | 今日の聖句
今日の聖句は「サムエル記下」19章からの抜き書きです。

10章~11節
イスラエルの諸部族の間に議論が起こった。
「ダビデ王は敵の手から我々を救いだし、ペリシテの手からも助け出してくださった。
だが今は、アブサロムのために国外に逃げておられる。
我々が油を注いで王としたアブサロムは戦いで死んでしまった。
それなのに、なぜあなたたちは黙っているばかりで、王を連れ戻そうとしないのか。」


15節
ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。
ユダの人々は王に使者を遣わし、「家臣全員と共に帰還してください」と言った。


16節
王は帰途につき、ヨルダン川まで来た。
ユダの人々は王を迎え、ヨルダン川を渡るのを助けようとして、ギルガルまで来ていた。


25節
サウルの孫メフィボシェトも王を迎えに下ってきた。
30節~31節
王は言った。「もう自分のことを話す必要はない。わたしは命じる。お前とツィバで辞書を分け合いなさい。」
メフィボシェトは王に言った。
「主君、王が無事に王宮にお帰りになったのですから、すべてツィバのものとなってもかまいません。」


32節~39節
ギレアド人バルジライはヨルダン川で王を見送るためにロゲリムから下り、王と共にヨルダン川まで来ていた。
バルジライは高齢で八十歳になっていた。彼は大層裕福で、マハナイム滞在中の王の生活を支えていた。
王はバルジライに言った。「わたしと共に来てくれないか。エルサレムのわたしのもとであなたの面倒を見よう。」
バルジライは王に答えた。
「・・・王はそれほどにお報いくださることはございません。どうか僕が帰って行くのをお許しください。
父や母の墓のあるわたしの町で死にたいのです。ここにあなたの僕キムハムがおります。
これに主君、王のお供をさせますから、どうか、あなたの目に良いと映るままにお使いください。」
王は言った。「キムハムにわたしと共に来てもらおう。キムハムにはお前の目に良いと映るとおりにしよう。
お前にはお前の選ぶとおりにしよう。」



ダビデ王に反逆した息子のアブサロムは死にました。
逃亡先のマハナイムからヨルダン川を渡ってエルサレムに戻ることになったダビデ王を迎えて
多くの家臣や民が集まります。
19章を読むと、すべての家臣、民がダビデ王を大切に思い、愛している様子が分かります。
ダビデは神に愛され油を注がれた人、信仰の人でした。



偶々<ノビタキ>の飛び出しが撮れました。 (^-^)


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キリスト教講演会のお知らせ

2013-11-07 21:04:50 | 美竹教会
今週の日曜日、11月10日、美竹教会で “キリスト教講演会 ”が開催されます。
日時、場所は↓のとおりです。

 **********************************************
  日時 2013年11月10日(日曜日) 午後1時~2時半
  場所 日本基督教団 美竹教会
  講師 左近 豊(とむ)牧師
  **********************************************

  左近先生は旧約聖書の「哀歌」の研究で有名な牧師で、
  左近先生についてのネット情報はココで見ることができます。


  午前中の礼拝は「永眠者記念日礼拝」で、そのお説教も左近豊牧師がなさいます。

  日曜日のご予定が決まっていないアナタ、今週の日曜日は左近豊先生とご一緒に過ごしましょう!!

  美竹教会からのご案内です。
  




   <美竹教会の地図>
  
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「イエスの祈り」

2013-11-06 21:50:36 | 今日の聖句
私は一応毎日、旧約聖書と併せて新約聖書も読んでいます。
今、新約は「ヨハネによる福音書」を読んでいるのですが、今日は新約聖書からの聖句です。

今日の聖句は「ヨハネによる福音書」17章から。
1節~3節
父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光を与えて下さい。
あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。
そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。
永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。


11節~13節
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。
聖なる父よ、わたしに与えて下さった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えて下さった御名によって彼らを守りました。
わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。
しかし、今、わたしはみもとに参ります。
世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らに内に満ちあふれるようになるためです。


20節~
また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々のためにも、お願いします。
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。
彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。
そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。



今日の聖句は「イエスの祈り」という中見出しで、17章全部がイエスの祈りです。
これは十字架を目前にしたイエスが、弟子やイエスを信じる民のための、神様への執り成しの祈りだと思いました。
自分がいなくなった後、寄る辺ない弟子や民を守ってくださるようにと神に願う祈りです。

初めて気づいたのですが、この「祈り」はマタイ、マルコ、ルカの福音書には出ていないのではないでしょうか。
「ヨハネによる福音書」は何回も読んでいるのに、初めて他の福音書には、このイエスの祈りの記述が無いことに気づきました。

注意散漫な私の読み方、それに加えて最近は読んだもの、見たものを忘れる度合いがひどくなってきました、恐ろしい~
そんな私のためにもイエス様は神様に執り成して下さっています。 感謝、平安。

神様、どうぞ最期まで御顔を仰ぎ、手を合わせて祈ることは忘れませんように! 心配なことです。
どうか信仰の生涯を全うできますように! と真剣に願ってしまいます。
「イエスの祈り」を読んで、こんな感想しか書けない私は情けない。 (^^;) 



<エンゼルトランペット>です。
大きくて気分の良い花ですね~


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讃美歌282番

2013-11-05 09:38:33 | 讃美歌
讃美歌282番

先週の礼拝で歌いました。
11月最初の主日は「宗教改革記念日礼拝」ということらしくて、ちなんだ讃美歌という事でこの歌だったようです。
私も初めての讃美歌でしたが、教会員の皆さんにもあまり馴染みのない歌だったようで、蚊の鳴くような歌い始めでした。
歌い進むうちにだんだん声も大きくなりました。 (^-^)
歌詞をよく読むと言葉がとても難しいものでした。

1)み栄は主にあれ、めぐみの御神は
  指導者の蔭に坐したる み民をかえりみ、
  み救いをもたらし みとのきよむる
  かがやける使者(つかい)を つかわしたまえり

2)み栄は主にあれ、 罪びとをゆるす
  限りなきめぐみは あらたにしめされ
  律法(おきて)より解かれし 自由のよろこび、
  主に頼る心に ふたたびあふれぬ

3)み栄は主にあれ、権威(ちから)のもとなる
  さかえある聖書(みふみ)は われらの手にあり
  世の智者よ、退け、 聖なるみたまは
  その旨をしたしく ときあかしたもう

4)み栄は主にあれ、 とうときゆずりを
  さずかりし我らは おののきかしこみ、
  うえもなき宝を たえせずたもちて
  暗き世にかがやく ひかりとならばや



作詞・作曲とも日本人による讃美歌です。
オーギュスト・ドゥコペ(1836-1907)の宗教改革歌にヒントを得て作られた歌詞は、
1936年に由木康(ゆうき・こう)の訳詞讃美歌集『竪琴』に収録されました。
この歌詞のために1953年に作られた曲REFORMATIONについて、作曲者の小泉功(こいずみ・いさお)は
「ジュネーヴ詩編歌的な香りを持たせることに苦心した」そうです。

10月最後の主の日の「宗教改革記念日」礼拝に良く用いられる賛美歌です。
「宗教改革記念日」の賛美歌は近頃あまり歌われなくなった気がします。

(参考:日本基督教団讃美歌委員会編,1998,『讃美歌21略解』,日本基督教団出版局)


讃美歌282番はココをクリックしてお聴きください。
真ん中の黒い四角、女の子の影絵の下の方にに「 PAUSED」 という文字があります。
その下の三角(スタート印)をクリックすると聞こえます。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会の扉を押してお訪ねください。 教会はいつもあなたに開かれています。



トベラの枝で羽繕いする<翡翠>です。
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踊るダビデ王

2013-11-04 21:22:26 | 今日の聖句
今日の聖句は「サムエル記下」6章14節~16節と20節~23節です。

14節~16節
主の御前でダビデは力の限り踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。
ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。
主の箱がダビデの町に着いたとき、サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、
主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心の内にさげすんだ。


20節~23節
ダビデが家の者に祝福を与えようと戻って来ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えて言った。
「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。
空っぽの男が恥ずかしげもなく裸になるように。」
ダビデはミカルに言った。「そうだ。お前の父やその家のだれでもなく、このわたしを選んで、
主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。
わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」
サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。



神の箱をエルサレムに運び上げるという喜ばしい出来事はダビデにとってどれほどの嬉しさ、喜びだったのでしょう!
空っぽの男のようだ、とミカルは皮肉をいいましたが、まあ、少年のようでもありますね。

ここの記事は大好きなのですが、旧約を書いた記者は一体どんな人たちだったのでしょう。
喜び祝うダビデの様子、イスラエルの民の様子、皮肉をいうミカルの様子、目の前で繰り広げられているように
活き活きと描かれていますよね~。




公園で百舌の高鳴きが聞こえるようになりました。
<百舌(もず)雌>です。

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「身に余る恩寵」

2013-11-03 20:43:12 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「サムエル記下」7章1節~16節
タイトルは「身に余る恩寵」でした。

今日の個所は神に感謝するとはどういうことかを私たちに学ばせてくれます。
神とのやり取りを通して、私たちが教会に連なり長年通って鍛えられるようにダビデも神の御心を学びました。

ダビデは神の恵みに対して素直な気持ちで(神殿を建てるという)感謝を表したかったのですが、それに対する
神の答えはダビデの思っていたものとは違っていました。
神はダビデに私がこれまで神殿を望んだことがあっただろうかと反論し、ダビデの願いを退けます。

しかし神は、神の恵みの重さや深さを理解できないダビデを責めることなく、ダビデの家(=ダビデ王朝)の
これからの恩寵を約束されました。
13節には、ダビデの末からメシアを出すということも含んだ言葉(ダビデ契約と言われます)も話されました。

ダビデは神の恵みを本当には分かっていなくて、恵みに感謝していましたが、その返礼は間違っていました。 
どのようにしても神の恵みに報いることなどできない、という自覚がありませんでした。
しかし、神とのやり取りを通してダビデは「恵みへの応えは信仰を持って神を褒め称えることしかないのだと気づき、
その後の18節からのダビデの祈りに続きます。

神に感謝を表したいと言うダビデの願いを神はよくわかっておられました。

ダビデは神殿は立てられませんでしたが、神を称える類まれな美しい詩を詩篇にたくさん残しました。
ソロモンの神殿は崩れましたが、ダビデの詩は今もなお、そしてこれからも歌い継がれ読み継がれてゆきます。 
これは神に導かれた(神の恵みに対する)ダビデの応え(応答)です。

聖書の神は神殿におられるのではなく、私達人間と共に旅する神であり、さすらう神です。
「人の子には枕するところがない」と言われたイエスは私たちと共にいて私たちに安らぎを与え、本当の安らぎは
地上には無いことを示されました。
私たちの故郷(本国)は天にあると言う自覚を失ってはいけません。

7節で神は言われます。
わたしはイスラエルの子らと共に歩んできたが、その間、私の民イスラエルを牧するようにと命じた
イスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。

民と共に歩む神に神殿は要らないのです。

ダビデには誤解が二つありました。
一つは神の無限の恩寵にお返しはできない、ということと、もう一つは地上ではなく天にこそ私たちの家はあり命がある、
ということを忘れていたことです。

今日歌った讃美歌282番の歌詞「神の栄光を褒め称える」
神への返礼はそれのみです。 
帰る所は十字架の下、神への感謝なしには私たちの生活はあり得ません。 
恩寵にお応えする道は信仰のみです。命をささげて足るものは信仰のみです。

ミカ書6章8節の聖句を心に持って生活しましょう。
人よ、何が善であり 主が何をお前に求めておられるかはお前に告げられている。
正義を起きない、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。

                                         (以上、文責はゆうゆうにあります。)



見ても撮っても可愛らしい<エナガ>です。


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明日は美竹教会でご奉仕くださっている神学生のYさんの結婚式が美竹教会で行われます。
お相手は同じ東京神学大学のY神学生です。 おめでとうございます!!
若いお二人はこれからの日本の教会、伝道を担って行かれることでしょう。
ナント嬉しく素晴らしいことでしょう!
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「確かな目標をめざして」

2013-11-02 20:09:47 | 「先週の講壇より」
  10月20日(日)の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
  この日は「神学校日礼拝」ということで、東京神学大学大学院2年生の山田詩郎神学生が礼拝説教をしてくださいました。
  テキストは サムエル記上17:41~50 フィリピの信徒への手紙3:12~216 
  タイトルは「確かな目標をめざして」でした。

  


  説教の全文は美竹教会のホームページの「9.説教集」に載ります。
  どうぞお読みください。



    
    池のピラカンサに翡翠(カワセミ)が止まります。
    赤い実に青い翡翠、絵になります。 (^-^)
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