「栗より(九里四里)美味い十三里」などと申しまして、さつま芋の美味しい時期になって参りました。前日、お酒をまた飲んで、土曜日の朝はしっかり寝てしまっている。天気が良いのに勿体無い一日であります。そうそう、さつま芋であります。オヤジはダッチオーブンを使って、石焼芋風に仕上げようと思っていたのでありますが、オッカーはスイートポテトを作り始めておりました。これは遅れてしまったか…もうひと眠りしてから考えることにします。
花の都、大東京で鬼退治を試みた『桃と太郎』さんでありましたが、鬼を見つけることも出来ずにすごすごと山形に帰って来たのであります。いや、実は東京某所の街角で「お兄さん!3,000円で良いよ^^;一晩もOKよぉ~」などと、怪しげな日本語でお誘いを受けたりもしたのでありますが、『桃と太郎』さんはまだ寂しいお父さんじゃぁありませんから…お腰に付けた缶ビールと文庫本、大人の眼鏡(老眼鏡)があれば、独りでだって眠ることができるのであります^^;
夕刻に鱈腹とお寿司など食べたはずなのでありますが、何故か夜中に腹が空く…こんな時、不夜城東京は便利であります。深夜営業のお店が沢山ありますから…東京で博多ラーメンを食べる?まぁ、東京とはそんなところであります。地方の物が、そして人が集まって来る。「本格博多ラーメン」などと看板を掲げられても、元々の「本場・本格」というものを知らないから(一度だけ、博多の屋台で食べたことはありますが)これが「本場仕立てです」と出されれば、何となく納得してしまうのであります。「麺の固さはどうしますかぁ~?」これまた片言の日本語で聞かれれば、「普通めでお願いします。」と答える。が、お隣のお兄ちゃんは「粉落とし」などと通な注文をしておられる。東京でそんなに通振らなくても良いのにと思って眺めたお兄さんの二の腕は、タトゥーでびっしり…はいはい、博多ラーメンは「粉落とし」に限りますよ^^;
何だ?この得体の知れない物体は?巻頭の画像は山形県飯豊町にある「がまの湯」温泉の山菜ちゃんぽんであります。大量多種の山菜の下は、お蕎麦ではなくラーメンなのでありますよ。
そして、この物体は「あけび」なのであります。黒い種が詰まったところは「胎座」と呼ぶらしいのですが、これが甘いから子どもの頃よく食べました。苦み走ったオジサンは、この「あけび」の皮を油で揚げて食べるのであります。中の詰め物は、ご家庭によって色々でありましょうが、山形県小国町の売店で買い求めた「あけび」はキノコが詰めてありました。お味の方は、少々苦いのでありまして、このほろ苦さを美味しいと通振るのでありますよ。やはり、田舎のオジサンは、おフランスや天空のツリーより、こちらの方がお口に合うようであります^^;
(『桃と太郎』東京編 終了^^;)
『桃と太郎』さんの目的は鬼退治…何だかんだと言ったって、日本一高い建築物から下界を眺め鬼を探さなくてはいけないのであります。「はとバス」を利用したのも、団体さんの特権で専用通路でトン豚とんと昇っていけるからでありまして、「東芝」と名乗る4人の力持ちが、40人の豚とんトンを僅か50秒程で350mの高さまで引っ張り上げておりました。世界には、それにも勝る力持ちが存在するようで、アラブ首長国連邦のブルジュ・ハリファは160階建で「オーチス」さんという力持ちが636mの高さでエレベータを毎日引っ張り上げているようであります。田舎者からすれば「いや~高いねぇ~!」なんて眺めていた東京タワーでさえ眼下に見えてしまう訳ですから、やっぱり凄いですよ。田舎では、消防の半鐘櫓に昇れば景色が一望できる訳ですから、こんなに高い構築物を造る必要も無いのでありまして、また、こんなに高い物を造ろうなどという発想も生まれないのでありますよ^^;
360度のパノラマ画像なんて、ネットでググればお手軽に見ることが出来るのでありまして、『桃と太郎』さんの場合は、350mの高さに設置された便座を記念撮影するのであります。大体、外から覗かれるなどという心配が無い訳ですから、全面ガラス張りにしたら、さぞかし爽快感に浸れるのではないだろうかなどと下らないことを考える…一回に流れるトイレの水は10ℓ程だそうですから、350mの高さまで毎日々々水を汲み上げている方は大変だろうなどと思うのでありますよ。
そうそう、本題はこの世の鬼を高い場所から探すことにありました。意外と簡単に「鬼」に遭遇いたしましたよ。鬼の角をモチーフにしたワンピースを着たお姉さんが沢山いましたから…ミナペルホネン(皆川明さんという日本人です。)によるデザインの誘導員用のユニフォームのようでありますが、モデルさんが着ると膝上くらいの着丈なはずなのに…(失礼、お顔は写してませんからお許しください。)ならばと気を取り直し、展望デッキに設けられたガラスの床を覗き込むと人が小さ過ぎて、どれが鬼やら判別できないのでありまして(当然)、『桃と太郎』さんは、展望回廊へは向かわず、お上りさんの常道であるショップへ向かうのでありましたとさ^^;
『桃と太郎』さんは、田舎者であっても常に紳士でありたいと思う。したがって、鬼退治に出かける前の腹ごしらえも、帝国ホテルのランチタイムを利用するのであります。(何ということはない、はとバス観光ツアーのセットメニューということなのですが…^^;)腰の刀をナイフとフォークに持ち替えたとしても、イタリアンだっておフランスだって見事に切り裁いていくのであります。
さて、お決まりの食前酒を選ぶ段になって、『桃と太郎』さんの手はピタリと止まってしまいました。グラスビールが300mlで900円…エビスビールであります。おいおい、『桃と太郎』さんがいつも飲んでいる、いや、先ほど東京駅近くのスタンドで買った「スーパードライ」だって350mlひと缶250円である。これは、さぞかし美味しいビールなのであろう…な訳がない。幾らなんでもボッタクリというものである。グラスワインが一杯1,000円であるから、魚料理には白ワインなどというルールは無視することにする。市販のビールで900円もボッタクルお店の1,000円のワインなんて、お里が知れていると考える『桃と太郎』さんなのであります。これには「サービス」という名のスパイスが効いているからに違いない。物の値段と言うものは、提供される場所によって、こんなにも違うものなのかと改めて考えるのでありました。鬼退治のための路銀は、お婆さん(オッカー)から貰っているので安心、安心。平然とした顔でビールを頼むものの、飲んでみれば普通の「エビスビール」でありましたとさ^^;
この辺から『桃と太郎』さんの不満が募り始めます。前菜に魚のすり身のムースでありましょうか…しかし、ナイフとフォークの順番が違うような気がする。マナーからすれば外側から位の常識は心得ているつもりでありますが、前菜とメインを食べるナイフとフォークの大きさが逆転しているような気がしてならないのであります。そこは天下の「帝国ホテル」でありますから、田舎者の『桃と太郎』さんの思い違いに相違ない。「料理は美味しく食べるのが一番のマナー」と今は亡き寮食の栄養士さんに教えられた身勝手マナーで、使い易い刀の方を右手に取って食事をする『桃と太郎』さんであります。スープ無し、二皿だけの料理とデザートだから何も気取っている必要もないのでありますが、仕上げのコーヒーが出てきて驚きました。カップの取っ手が右側に位置し、ソーサーに乗せられたスプーンは向こう側に置いてある…さすが「帝国ホテル」であります。酒を飲んでいる『桃と太郎』さんは、コーヒーもブラックで召し上がるに違いないと予め取っ手を右側に置いてくれたに違いない。(な訳ないでしょう。私は帝国ホテルの常連さんでも無いし、スプーンの位置は、まったく逆なのだから…。)
この疑問を誰かにぶつけたい。しかし、弱っちい『桃と太郎』さんは、マナーに自信がないから「大帝国ホテル」のオシャレな便器に向かって、「田舎もんを馬鹿にするなぁ~!」と叫んだのでありましたとさ。こんな弱っちい『桃と太郎』さんが、果たして鬼退治など出来るのでありましょうか…つづく。
注)鬼退治から帰って来て、コーヒーの出し方について調べてみました。カップの取っ手を左側に、スプーンを手前側に置くスタイルは「帝国ホテル」が始めたスタイルであるとの書き込みもありますが定かではありません。ホテルによっては、スプーンをソーサー右に置くスタイルもあるとか…常連のお客様がブラックを所望する場合は、予めの心遣いとして取っ手を右側にする場合もあるようです。料理を美味しく頂くための心遣いであるならば、それはそれで良いのでありますけれど…。
『桃と太郎さん』の鬼退治ツアーは、リニューアルされた「東京駅」から離れることが出来ません。何故ならば、お上りさん御一行様の定番である「はとバス」を使って、東京スカイツリーを目指そうとしているから、その待ち合わせ時間で駅周辺を散策することになるのであります。例え「はとバス」の第一目的地が皇居外苑で東京駅丸の内口を直進すれば、徒歩でも待ち時間の内に到達できると分っていても団体行動を守るためにジッと辛抱しなければいけないのであります。
東海道新幹線を使っていた方々と違って、昭和生まれのアナログオジサンには東京駅はターミナル駅ではなく、東北人の心のターミナル駅は「ああ、上野駅」であると思っているから、新幹線を降りて中央線に乗り換えるための通過駅程度の感覚しかありません。それでも赤レンガ造りのお洒落な外壁を見ながら、大正時代のように耐火レンガを使っているのか、今風にレンガのスレート材を使っているのだろうかなどと、建築士でもないのに石組みを観察したりする…田舎者にとっては、トイレもレンガも観光資源になるのでありますよ^^;
「はとバス」ではお決まりの皇居坂下門や正門石橋にて記念撮影…『桃と太郎』さんは、小学6年生の時に新年の一般参賀で正門石橋や二重橋を渡っているんだよなぁ…その内、文化勲章を受章する折には、皇居宮殿松の間に出向くことになるだろう…妄想は続くのであります。
今は亡き祖母から何度も聞かされた「楠公伝」…一敗地に塗れ、兄弟で自刃して果てたとされる南朝方の「楠木正成」がどうして英雄視されるのか今でも分りませんが、主君?南朝の後醍醐天皇に最期まで忠誠を尽くしたとして明治政府に英雄化されたらしい…明治生まれの祖母が「楠公さん」の武勇伝を講釈師の如く何度も諳んじていた祖母を思い出すのであります。一豪族で寡兵の「楠木軍」が多勢の「足利軍」と戦うとなれば敗戦が決定的であり、山岳戦や奇策を用いたゲリラ戦を得意とする「楠木軍」が正規軍に祭り上げられ「湊川の戦い」に挑むなどという行為は無謀というべきであります。それでも立ち上がる「楠木正成」の行動を皇国の兵士として美化したとすれば…明治、大正、昭和へと続く不幸な歴史を繰り返さないためにも、ひとつの象徴として心に留めるべきだと考える『桃と太郎』さんであります。(お腰のビールでほろ酔い加減のオジサンだって、少しは考えているのであります。)
まぁねぇ、今の世の中、何とか勝ち馬に乗ろうとして平然と持説を替える『政治屋さん』が多いのだから、国会議員となった暁には、この「楠公像」の前で当選証書を受け取り、国家と国民のために忠節を尽くすなどという認証式でもやれば、そう簡単に変節も出来ないだろうと思うのでありますが…^^;
そうそう『桃と太郎』さんの今回の任務は鬼退治でありました。鬼退治の前には腹ごしらえが必要であります。『桃と太郎』さん御一行様は「はとバス」観光でお馴染みの帝国ホテルに向かうのであります…まだまだ続く^^;
スカイツリー展望台のデコレーションです^^;
「Trick or treat!」…『桃と太郎』さんは悪戯好き。「お菓子をくれないと悪戯するよ。」なんて唱えなくたって、悪戯ばかりを考えている。けれども、缶ビールだけは別で、『桃と太郎』さんに缶ビールさえ与えておけば大人しい^^;
日本と言う国と国民はとても不思議なもので、歴史や起源などお構い無しに異文化や行事をすんなりと受け入れてしまうのでありまして、カボチャをくり貫いた「ジャック・オー・ランタン」を飾り、窓ガラスのデコレーションを見て「そろそろハロウィーンの季節か…。」などと違和感無く感じてしまうから不思議であります。良く言えば許容性があり、悪く言えば節操が無い。明治維新から140年も経過しているというのに、欧米の文化は高尚なものという何か劣等感的なものも未だに見え隠れするのであります。お隣の大国では、アニメのキャラクターには似ても似つかない「パクリキャラ」の話題が取り沙汰されますが、古き日本でも欧米の商品を分解し、それに勝る商品開発を進めていた時期があるような気がしますし、発展の途上にあっては、真似し、学んでいくという過程はつきもののような気がするのであります。
「鬼退治」から、東京という大都会で賞金稼ぎに身をやつした『桃と太郎』さんは、朝から缶ビールを飲んでしまい、まずはトイレを探すのであります。言い訳をするならば、『桃と太郎』さんが尿意を催したのではなく、同行の女の子が「トイレ行きたい。」と小声で漏らした言葉を聞き逃さず、お上りさん御一行様のリーダーに「トイレ休憩いれましょう。」と気を利かせたつもりなのではありますが…。
賞金稼ぎの『桃と太郎』さんはフェミニスト…手荷物などを持ってあげて待つのでありますが…。
人ごみの観光地やイベント会場で『桃と太郎』さんが常々思うところがありまして、「ジェンダーバイアス」などという問題以前に、男子トイレと女子トイレのスペースは何も平等である必要はなく、女子トイレの面積を男子トイレの2倍程度にすべきではないかと思うのであります。一連の用事のこなし方の違いから、必ず出来上がる女子トイレの長蛇の列…小さな子どもを抱えて「オシッコ!」なんて言われると、田舎では迷わず広い世界で即座に開放感を味あわせることが出来るのでありますが、都会ではそうも行かないのでありまして、私ならば躊躇なく男子トイレに連れて行くのでありますが、恥じらいを忘れたオバサンならともかく、母親が突然こうした場面に遭遇した場合、非常に困ってしまうと思うのでありますよ。
それぞれが個室だからといって、中で一人ひとりがカラオケでも歌っている訳でもあるまい。(女子トイレを覗いたことが無いので分りませんが、きっと歌ってはいないと思う^^;)待ち時間を減らす方策が考えられたなら、イグノーベル賞くらいは受賞出来るのではないだろうかなどと考えるのであります。もしかすると、一級建築士の多くが男性であり、施主(経営陣)の多くが男性だから、こうした事象が起こるのでありましょうか?最近では、日本旅館の多くが時間帯によって男女の大浴場を交換したりする時代でありますから、トイレひとつとっても、一寸した配慮があれば評価も上がるというもの…『夢屋国王』いや、ここでは『桃と太郎』さんは、「鬼退治」の前に「トイレのジェンダーバイアス」について考えるのでありましたとさ…まだまだ続く^^;
『桃と太郎』は行きがかり上、鬼の棲むと言う「東京」へ山形新幹線に乗って鬼を探しに行きました。余り気乗りのしない『鬼退治』でありますから、意図的に寝坊し、朝6時54分発上りの電車に乗り遅れることも心配されましたが、そこは団体行動だからと自分に言い聞かせ乗車だけはしました。車内の暇つぶしにと駅の売店で藤沢周平さんの短編小説など買って(後々これが思わぬ結末を迎えることに成るのでありますが…)朝から缶ビール…これだけで意外と上機嫌、現代の『桃と太郎』は「黍団子」なんぞ貰わなくたって、ビールひと缶であっさり家来になって付いて行ってしまうのであります^^;
小説を読みながら…他人の分の缶ビールまで分捕って、相席の上司と話し込んでいる内に、高々2時間20分の乗車時間は瞬く間に過ぎてしまったのであります。目指すは天空の城「東京スカイツリー」、田舎と違って往来する人々が多い東京で「鬼」を探すには、高い所から眺めて探すのが一番であるはず…しかし、探し出すべき「鬼」の情報は、東京駅丸の内口の「小判(Koban)」で…「交番」かぁ…早々と手に入れたのでありました。
昭和50年の連続企業爆破事件の犯人のひとりとされている「桐島聡」当時21歳…生きていたとしても今では58歳のオジサンであり、指名手配写真のような髪型や眼鏡を掛けているとも思えない。主犯格とされている「大道寺あや子」が国外逃亡を続けているという前提で、共犯とされる事件について公訴時効が中断している事件なのであります。学生運動が下火となり、一部は「極左暴力集団」と化した時代の犯罪…事件の内容を検索していると「日本赤軍」であるとか「腹腹時計」「アジト」など、少年時代に耳にした言葉が羅列されているのであります。
歪められた左翼思想と革命理論…優秀な大学生の化学知識も、当時の除草剤から爆薬を作るなどという愚挙を犯してしまったもの…人々の記憶からも消え去ろうとしている事件を思い出しながら、現代の『桃と太郎』の旅は、「御触書」を頼りに賞金稼ぎの旅に変わるのでありましたとさ^^;
つづく。
かくして弱っちい鬼の棲むという「鬼が島」を目指すことになった『桃と太郎』さんでありますが、『夢屋国王』はここに来て、ハタとブログネタに詰まり、何故か鬼探しの旅に出掛けることにしました。目指すは魑魅魍魎の棲む「大東京」…剣豪『ムサシ』に挑み、『ツッタン仮面』の首飾りに使われたという『拝め無能』なる鬼を探そうと思うのですが、まったく予定を立てていないので何に出会うか分りません。お腰につけた缶ビールを片手に田舎者『夢屋国王』は、「又郎君」と同じ山形新幹線に乗り込むのであります。それでは…
かくして『桃と太郎』さんは、言うことを全く聞かない家来を連れて、行きがかり上『鬼が島』の鬼を退治に行くことになってしまいました。何故なら鬼は、お爺さんやお婆さんも含めた村人から財貨を収奪し、不正な蓄財をしているからであります。しかし、ちょっと待っていただきたい。『桃と太郎』出陣のお餞別は「黍団子」であります。どう考えても恵まれた食べ物とは思えません。鬼から収奪されるから村人は貧しいのか、元々貧しいところに更なる収奪を鬼は繰り返すのか?昔から「百姓は生かさず殺さず。」などと言われているのですから、死なない程度のところで収奪を繰り返す。けれども貧乏人から収奪を繰り返しても大した蓄財にはならないのではなどと考えてしまう『夢屋国王』であります。
そもそも鬼とは何者なのでありましょうか?鬼嫁に鬼婆という言葉はありますが、鬼爺という言葉を私は知りません。せいぜい鬼軍曹という言葉がある程度でしょうか…即ち、鬼とは異界に住む女性の変化した魔物。収奪される村人は、哀れなこの世の男どもということになります。なるほど、『桃と太郎』の家来は、噛み付く(犬)、引っ掻く(猿)、痛い所をネチネチ突く(キジ)であり、鬼の攻撃パターンに良く似ている-.-; 調子に乗って、こういうことを書き続けると我が家の異界(離れ)に棲むという『鬼〇』の逆襲を受けそうであるから、そろそろ止めにしよう^^;
『桃と太郎』の一の子分であるはずの『柴犬コウ(本名:さくら)』も犬のくせに猿轡をはめられ、朝晩のご飯という名の『黍団子』に尾っぽをフリフリする生き残りのための術を心得ているのだから、『桃と太郎』さんも「内なる鬼〇」に対しては、そろそろ穏便に生きるための術を手に入れなければならないのであります。日々の野良仕事に精を出し、夕方は早く帰り、自分のお小遣いで買った缶ビールは飲み過ぎないこと。世間話にはキッチリと耳を傾け、晩ご飯は美味しいと褒め感謝する。誕生日や結婚記念日を忘れてはいけない。常に顔色に注意し、そして、決して歯向かわないこと…実に簡単ではありませんか。これで「内なる鬼〇」への傾向と対策はバッチリなのでありますから、わざわざ鬼退治などしない方が賢明な生き方なのでありますよ^^;
そうそう『桃と太郎』さんが行きがかり上、鬼退治に行くのは、こうして「内なる鬼〇」には決して敵わないと判断したからでありまして、村人から収奪の限りを尽くすという「外なる鬼」…少なくても弱っちい『桃と太郎』さんにも勝てそうな「鬼」を探し出さなくてはいけないのであります。現代の『黍団子』(自分で作ったお弁当)を持って、少ないお小遣いで言うことを聞かない家来を繋ぎとめ、「鬼退治の暁には、宝は山分けする。」という成功報酬をチラつかせて、手頃な鬼退治が出来る『鬼が島』を探す旅に出かける。果たして、そんな都合の良い『鬼が島』が存在するのでありましょうか?
つづく^^;
『桃と太郎』のお話には、「きび団子」が欠かせません。「きび団子」は当然「黍」で出来た団子であって、「吉備の国」の団子では無いのでありますが、いつの間にやら岡山県の団子のように取り扱われてしまったようであります。正直なところ、『夢屋国王』も栽培種としての粟や黍を見たことがありません。稗ですら、雑草としてのタイヌビエは知っておりますが、栽培種としては見たことが無いはずであります。せいぜい、粟餅という名前の餅菓子に塗された粟や小鳥の餌である雑穀として知るのみであります。水稲の品種改良が進み栽培技術が確立すると、栽培北限が次第に北上し、農民の主食としての粟や稗が栽培されることは少なくなったと思われます。岩手県の山間部や青森県下北地方では、米の代わりに稗が植えられていた時代もあり、社会的な評価として食味が悪く貧しい者が食べる物として取り扱われることもあったようであります。(注:冷害などを避けるために、米の栽培不適地に作付けされたということであり、かつての青森県民や岩手県民を侮蔑するものではないことをお断りいたしておきます。)
昔、五穀のひとつとして扱われてきた黍でありますが、この黍で作られた団子とは如何なお味であったのでありましょうか?
これは、岩手県厳美渓の郭公団子であります。
少なくとも、絵本に載っている『桃と太郎』の巾着袋に入った情景を思い浮かべるならば、小豆やみたらし団子では無かっただろうことは想像出来るのであります。また、経験的に柔らかさと保存性を良くするために砂糖が混ぜられ、表面にはきな粉が塗してあったのではないだろうかと勝手に想像するのであります。『夢屋国王』の言うことなど一切聞かない我が家の『柴犬コウ(本名:さくら)』が、たった1個で家来になるのですから、相当魅惑的な味であったに違いない。いくら美味であったとしても、鬼退治に出かけるための給料としては最低賃金を大幅に下回っており、報奨としても実にチープであります。この場合「鬼が島でお宝をゲットしたら、みんなで山分けにしようぜ。」と成功報酬を約束しておかないと『黍団子』を食い逃げされてしまうのではないだろうかと考えるのは、リーダーシップの無い『夢屋国王』だけでありましょうか?我が家の『柴犬コウ』に成功報酬を約束しても、お座りまではしますが、最近はお手の替わりに『成功報酬』を握り締めた国王の手を引っ掻く有り様ですから、家来になったという気持ちを維持させるのも大変であります。一番目の家来がこの有り様ですから、今後、猿とキジを家来として手懐けるためには、相当な時間が掛かるものと思われ、鬼退治などという大志は夢のまた夢であります^^;
ここで『夢屋国王』は、ハタと現実に気付くのであります。派閥の長と言われる方々が国家国民のために働けないのは、家来に与える美味なる『成功報酬』を持ち合わせていないから、自分の家来を繋ぎ止めるために汲々としているからに違いない。派閥の長たるものは、お婆さんに『黍団子』を作ってもらうべきであると…^^;
明日、また雨が降りそうなので、友人『ノロ君』の手助けを得て、杭掛けしたもち米を『クワジマン』の車庫に運び込みました。これでひと安心。『夢屋王国』のもち米収穫祭は、いつ出来ることやら^^;