正調「浦島太郎」は助けた亀に促され、竜宮城に連れて行かれるのでありますが、『裏氏・又郎君』は1992年に一体何をしでかしたのでありましょうか?ちなみに、1992年(平成4年)という年は、スペイン・バルセロナでオリンピックが開催された年であり、当時中学2年生だった岩崎恭子ちゃんが、いきなり生涯自己ベストとなる記録で女子200m平泳ぎの金メダルを獲得し世間を驚かせ、「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」という名言を吐いた年であります。彼女はその後、さらに幸せと言える出来事に出会えたのでありましょうか?ローカルな話題で言えば「山形新幹線」の開業…正式名称は新幹線直行特急「つばさ」が運行し、山形から乗車し福島駅で東北新幹線に乗り換えすることなく東京駅に到着できるようになった年でもあります。現在の車両は、シルバーメタリックのボディカラーを基調に緑色のストライプが施されていますが、開業当時の400系車両はシルバー単色で、JR関係者は「翼の無い航空機」と自画自賛しておりましたけれど、6両編成で東北新幹線「やまびこ」に引かれる?(実際には自走しています。)姿は、芋虫にも見えたものであります^^;
国の3K赤字(健保、国鉄、米)のひとつとされた旧国鉄が、日本国有鉄道改革法により1987年にJR各社が発足しましたが(保有株式が売却され、JR東日本が完全民営化したのが2002年)、当時は正式名称「東日本旅客鉄道株式会社」の「鉄」の字が「金を失う」と書くなどと揶揄され、「失う」という部分の「`」を取って表記していたなどという都市伝説があるくらいであります。そう、当時『裏氏・又郎君』が助けたのは、子どもたちにいじめられている亀ではなくて、国家財政の赤字の元凶であると大人たちからいじめられてきた「JR」だったのかも知れません。
我が家の長男『ポン太郎君』が救った『亀吉君』
事実、山形新幹線は「新幹線直行特急」の名称の通り、在来線の狭軌規格を標準軌に敷設替えしただけなので、福島~中山駅間は未だ単線区間であり、道路と平面交差する踏切が多数存在します。新幹線「つばさ」が停車する駅舎(正式には、JRに対し直接自治体が財政支援できないため、駅ビル部分や付帯施設)は各市町の支援や募金で建設されております。東北新幹線もまた盛岡~新青森駅間の延伸が実現したものの、建設費の地元負担金が1,800億円ほど要したと言われており、新幹線と並行して進む在来線は、第3セクター方式の鉄道事業者に経営が移され、国からの支援を受けて黒字運営している状態であります。助けた亀は、ドル箱路線を手に入れ、採算の取れない路線は地元へと、またしても国が赤字補填するという構図に落ち着くという摩訶不思議な世界が繰り広げられているのであります。
少なくても、助けた亀は『裏氏・又郎君』を乙姫の待つ『竜宮城』へ連れて行ってくれるはずである。1992年『裏氏・又郎君』は、山形県で亀(JR)を助けた。『又郎伝説』は「いつ、どこで、誰が、どうした。」まで完成したのであります。しかし、これは『又郎伝説』の序章であります。『竜宮城』は、果たして何処に…伝説は、まだまだ続くのであります^^;
ちなみに、本日『平成24年産夢屋米』の成績表が送られて来ました。見事、一等米評価…目出度し、めでたし^^;