胃袋は中々満たされない^^;
仕事始めの1月4日…『創造主(料理人)』は、二日連続で「牡蠣鍋」を作り、無駄なく消費するために、〆として「雑炊」をお作りになった。問題は、二日連続の『鍋』にあるのではなく、お腹が一杯で、もうこれ以上食べられないところにある^^;
お腹が満たされれば、人間そうそう文句を言ったりしないものだけれど、今の世の中、『思考・志向の多様化』という実に便利な言葉で、問題を曖昧にしてしまうから、お腹を満たしたところで不平不満が無くならないようである。〆の「雑炊」も美味しく仕上がっているのだけれど、残念、お腹が一杯でもうこれ以上入らない。捨てずに無駄なく食すはずが、お残ししてしまっては、また無駄になるという矛盾…頃合い、分量というものが大切なような気がしますなぁ(笑)
新年の抱負として、小池都知事は、都内に住む18歳までの子どもに月5,000円程の給付をすると『お年玉政策』を発表し、岸田首相は異次元の少子化対策に挑戦すると気勢を上げられた。2022年の出生数が80万人を割り込む見通しとされているから、当然と言えば当然の結果かも知れないけれど、それで問題の本質が解決するのでしょうか?諸事情により子宝に恵まれない方は別にして、「子を産み、育てたい。」と思う方は、既に「子を産み、育てているんじゃないかなぁ?」なんてね。誰もが「天下国家のために子を産もう!」なんて思ってはいないだろう…少子化の原因は、子育て費用や『異次元の対策』で解決するものではないような気がするけれど…。
雪の結晶ではなく水蒸気に違いない^^;
はてさて、『雪の結晶』は、空で互いにぶつかり合い、図鑑に出て来るような『美しい結晶』を見ることは、よほど条件が整わないと出来ませんなぁ。(雪国に住んでいてもね^^;)
生活が苦しいから、教育費がかかるから子どもは…ならば『貧乏人の子沢山』(これ禁止用語ですかねぇ…?)はどうなるの?確かに、生活が苦しいから子育ては…と二の足を踏むご家庭もあるかも知れない。ならば、『お年玉政策』のように給付金を支出すれば解決するかも…でもなぁ、『おやじぃ』には、今の生活水準を落としたくないという気持ちよりは、『厄介なこと』からは解放されたいという気持ちの方が強いような気もするが。人間の場合、親の手を離れるまでに最低でも20年間の歳月が掛かるのだよ…生まれて、頂いて来て、餌を与えれば育つ…勝手に、排泄もしてくれるし、猫や犬を見ていてそう思う。(人とペットを同列に扱うのも如何とは思うけれど。)手に余れば『捨ててしまう。』総ての人がそうであるという極論は言わないけれど、生き物と対峙するということには、必ず『厄介』というものが付きまとう。「可愛い!」だけでは済まないもの。オジサンやオバサンたちが、幾ら硬くなった頭で、『子どもの数を増やそう』なんて考えたところで、若者たちの『精神構造』まで思いが及ばないに違いない。ましてや、後から『梯子を外されたら堪らない。』(急に、給付を止めてしまったりしてね^^;)…はてさて、今日も三日連続の除雪作業をしなければならない。逃げ出したくても誰もやってくれないもの…そうそう、外の除雪作業は、高齢者のお仕事で、とんと若者たちがしているところを見掛けませんけれど。高齢者が居なくなって初めて若い衆が動き出す。総てが切羽詰まってからね(笑)
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