その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

やっぱり「笑顔」がいいね!

2021-10-06 08:20:32 | 転職

これなら乾燥機も回せるだろう^^;

「わらにまみれてヨー♪ 育てた栗毛ぇ~♪」 故)三橋美智也さんの「達者でナ」の冒頭のひと節であります。(かなり古い^^;)歌詞からは、仔馬から寝食を共にして育て上げ、街で「荷駄馬」として売る際の心情が唄い込まれていると思うのでありますが、「日本昔ばなし」の影響なのでしょうか、「馬を売る」という行為は「不作で貧乏し、使役馬として重要な家畜まで売りに出す。」というイメージが湧いてしまうのでありますよ。我が家では、ヤギ(乳用)とヒツジ(羊毛)を飼っていた時代もありましたが、さすがに「馬」「牛」は飼えなかった。「その内、兄ちゃんが、田んぼと馬を買ってくれるから、一生懸命手伝え!」と我が祖母は、子どもで一番年下の叔父を鼓舞していたというから、「時代遅れ」も甚だしい^^; 重労働を家族で支え、現金収入を求めて家主が勤めに出て「三ちゃん農業」と呼ばれるようになり、機械化が進んで「日曜百姓」と呼ばれるようになった。それでも経費が嵩み、中小規模の稲作農家は離農していったのでありますよ。
「昔は米一俵を担いで『〇×屋』に行って、お銚子付きで二晩泊まれたもんだ。」…近所のジイさんが武勇伝を懐かしんでいたのはいつの日か?(当時、「逆ザヤ」と言われても米一俵2万円近い値段はしていたし、旅館一泊2万円程度でもあり、米がいかに安いかということを嘆いた話ではあったのだけれど。)片道4㎞の道のりを60㎏の米俵を担いで出掛けていったジイさんの根性も大したものである^^;


最もひどい場所を写したものです^^;

大人の男どもは結構、贅沢をしていたようである。近所の「タバコ農家」のジイさんは料理屋に通い詰め、「お金も無いのでそろそろ帰って来てください。」などと、嫁さんが迎えに行ったなどという昔語りもある…周囲の人々が総て貧乏だったという訳でもなさそうではあるのだけれど、製造業が発展し、現金収入の道が拓けると同時に、農業の貴重な担い手たちは、製造業へと吸収されていった。「勤め」に出ることで、確かに平均的で安泰な生活が確保されるようになったのである。
さて、草の中の稲刈り手伝い二日目…昨日の籾を乾燥機に入れようとする相方『チャオちゃん』に、「全部刈り取って(様子を見て)からにしようよ。」と進言した『おやじぃ』である。昨日は半分以上刈り取ったはずだから、この分だと乾燥機は回せない。ブレンドして飯米にするかどうかの微妙なラインと収穫量を踏んだのでありますよ。(本日の分には、最も荒れ果てた場所もあるのだから^^;)
持病の「神経痛」が出る前に、ヒエ抜き作業をしていたという箇所は、思いの外、茎数、穂長もあって、そこそこの収量が何とか確保できましたよ。「これくらいあれば何とか乾燥機は回せる。」…作業前の悲痛な表情も、ようやく笑顔が戻りましたよ。(良かったよかった。)
「百姓は単純明快だよなぁ^^;」(おやじぃ)
「んだんだ。取れたと言っては歓び、値段が下がったと言えば気落ちする。」(チャオちゃん)
「昨日は掛ける言葉も無かったけれど、そばに人が居ただけでもいがった(良かった)べぇ!」…正直、荒れ果てた田んぼで、作業意欲もどんどん失いかけていた状態だったのでねぇ^^;
あと何回、『チャオちゃん』と稲刈り出来るか分からない…無償の奉仕作業ではあるけれど、笑顔が戻っただけでひと安心。一番「単純明快」なのは『おやじぃ』なのかも知れないなぁ(笑)


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