置賜三十三観音第27番 高岡観音…
イヌ科のキツネは、肉食に近い雑食性(餌が少ないときにね)とされる。お稲荷さんでもあるまいし、観音さまとキツネの彫り物の関わり合いが理解できなかったのだけれど、もう一対のフクロウとを合わせて考えるに、ネズミを狩る『益獣』としての扱いだったのかも知れない。さらには、どう見てもブドウ畑の中のキツネである。ブドウ自体は奈良時代には渡来したとの説もあるから、唐草模様だけでなく、ブドウの蔓をモチーフに使われたとしても不思議はない。イソップ童話に「狐と葡萄」というお話もあるようだけれど、まさかその影響を受けたとも思えない…もしも、たわわに実ったブドウが「豊穣」の象徴だとすれば、『田の神』と『益獣』とを結びつけた崇敬者(農民)たちの願いだったりしてねぇ…また、お得意の独自解釈をしたところでありますよ^^;
昨夜、恒例の『晩酌会』を終え、ほろ酔い加減で帰宅する途中、目の前を一匹のキツネが走り去っていった。ノラ猫や犬じゃない、確かにキツネである。だって、尻尾が太かったもの。(突然のことで画像に残せる訳もなく、酔っ払いの目撃証言でしかないけれど^^;)30年前に福島県内の山中で夜に一頭を見掛けて以来、ましてや我が在所では野生のキツネは初見でありますよ。これは興奮して語らずにはいられない…しかし、我が家の『女子会』は、冷静に「寄生虫が怖い。」と語るのみで『おやじぃ』の興奮が伝わらないのでありますよ。「エキノコックス症の原因条虫は、北緯38℃線以北だわ!」と『女子会』を一喝したいところだけれど、こちらの命の安泰を図るため口には出さないことにする^^;(山形県でも2007年にと畜場に搬入されたウマから発見されたという報告事例があり、知多半島では定着したとの見解もあるようです。)
得意のノゾキ…周囲の彫刻も彩色されていた?
さて、こうして『おやじぃ』の発見の興奮が『女子会』に無視されることは日常茶飯事だから気にしない^^; 「君たちは、日常に小さな発見や興奮を味わえない悲しい人間である。」とコチラも冷めた目で見ることにいたしましょう。一方、『晩酌会』のお相手である友人『ノロ社長』は、毎朝、『鷹くん』がやって来るようになったと、こちらも興奮気味である。(「ノスリ」ではないかと思うのだけれど…。)「餌付けして、俺は『鷹匠』になる!」と3月の仕事にあぶれた彼は次なる『野心』に向けて安い鶏肉を与えているようである。(生態学や保護の観点からは、よろしくない行為であるとは思うのだけれど、言って止めさせるのも『大人気』ないような気がしましてねぇ…。)
はてさて、「狐と葡萄(邦題)」というイソップ童話は、美味しそうな葡萄を見つけたキツネが、何度飛び跳ねても葡萄に手が届かず、最後は「これは酸っぱい葡萄に決まっている。」と捨て台詞を吐いて別の食べ物を探しに去るというあらすじである。世の中では、このことを「負け惜しみ」と言い、「自分の能力不足には向き合わず、対象が『価値のないもの』であると決めつけることで、自己正当化する防衛機制」の表れとして理解されているようである。世の中には『酸っぱい葡萄』が何と溢れていることよ。手の届かない存在として諦めるならまだしも、その存在を自分のレベルまで引きずり降ろして『叩く』…最近のゴシップマスコミの常套手段であり、その方が売れるから困りものではある。もしも、彫刻のキツネのように、『豊かな葡萄』に恵まれた社会ならば、他人のモノまで手を伸ばそうとは思わないだろうにねぇ…。『平等』ってさぁ、皆に平らに分け与えられるモノでもないはず…時には『酸っぱい葡萄』も食べなはれ、『甘い葡萄』が欲しければ努力もしなはれ…問題は、『甘い葡萄』を手に入れられる機会・手段(教育)が均等に与えられることだと『おやじぃ』は思うのでありますけれどねぇ…。