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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

不足(不測)のときに…

2024-03-06 09:42:56 | 転職

置賜三十三観音第15番「火の目観音」…

こちらの観音さまは、元は『檜の目観音』と呼ばれていたそうでありますが、米沢大火の折りに観音だけが焼けずに残ったことから「火の目観音」と呼ばれるようになったとか…『御利益』は、火伏せの仏さまである^^;
「悠長に観音さまと湯巡りかね?」などと揶揄されている『おやじぃ』でありますが、午前中は、アルバイト先の報酬支払の手続きや事業を進める上での情報収集(官署)に務めたつもり…少しは社会貢献しているつもりであります。いつものように『カンニング般若心経』を唱えながら、お寺としては廃寺なのかと思いつつ、道路向かいを眺むれば米沢市の観光(由緒)看板が立っている。『覗きの虫』が騒ぎ出し、道路を渡れば、そこは「莅戸善政」の墓所である長泉寺でありました。
「莅戸」と書いて「のぞき」と読む。米沢藩中興の祖「上杉鷹山公」(養子さんなのよぉ^^;)は世に名を馳せておりますが、「莅戸善政」まで知る方は少ないのではなかろうか?「米びつをのぞき(莅戸)てみれば米はなし あすから何をくろうべえ(九郎兵衛)哉」とまで揶揄された人物である。
元々は中級武士、鷹山公に重用されるも、藩内の『抵抗勢力』によって、一度は失脚、隠居するものの、鷹山公の再登板で、奉行職(国家老)まで登り詰めた人物である。鷹山公の藩政改革もこの人物無くして果たし得なかったとも言える忠臣、『実働部隊』の一員でありますよ^^;


シンプルに…何も加えず…

さて、昔ながらの「米沢ラーメン」を食べてみたい自作編…冷蔵庫には卵以外何も無し^^; 鰹出汁と砂糖、醤油、みりんだけでスープをこさえてみた…むしろ、記憶にある味に近づいたような気がする。そうか!子どもの頃は、そもそもお肉というモノを食べた記憶が無いから、鶏ガラ、豚骨の類も手に入りにくかったに違いない。基本が煮干しや鰹節が出汁の素だったとすると記憶に近づくのもうなずける…『有るモノ』を探すのではなく、『無いモノ』 の中で培われた味覚だったのかも知れない。ちなみに、「莅戸善政」は「飢饉」の際の備えとして「かてもの(救荒食物)」を編纂した人物でもある。
はてさて、満ち足りて、不足することを知らないから、『味』を追求し、色々なモノを探し出し追い足ししていく…それが『美味しいモノ』として認知されていく。時の総理は、施策に不足するものを『検討し』、『私が先頭に立ち』、『指示しました。』と連呼される。問題は、それが優れた『政策』であっても、『抵抗勢力』の妨害でうやむやにされ、「莅戸善政」のような忠臣、『実働部隊』が存在しないのではないかなどとも考え始めている。『おやじぃ』の『米沢藩びいき』は、天明の飢饉に際して、領民に餓死者を出さなかったことによる…これまた、鷹山公の『指示』ではあるけれど、莅戸らの家臣は、すべての藩士、領民に対して、収入に応じた積立(穀物や金銭)を義務化したようである。これまた、大きな『抵抗』はあったに違いないと思えるのだけれど…。どこか不足(不測)の事態を考えない愚かさよ…『おやじぃ』もまた、「莅戸」と聞いて「ノゾキ」を連想してしまうウツケ者ではあるけれど(笑)

 

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