夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

気の問題

2018-10-31 09:00:28 | Weblog
やる気、根気、気力、意欲
これらは本人の気持ちの問題だ。

習慣化されたものは、それほど
気力やパワーを必要としないで
する事ができるが、どうしても
新しい事や自分が馴染めない事は
したくないという方向に流れがち。

年を取れば余計に面倒、しんどい
という単語が多用される傾向が強い。
同年齢であれば、余り気にしない
言葉かもしれないが、しんどくない
元気な人にとっては、うっとおしい
相手にうつってしまうだろう。

言葉にはパワーがあるし、本人の
パワーの度合いも関係するが
ネガティブな事は周囲も自然と
その空気に晒されてしまうから。

ポジティブな思考回路の人と
接すれば、どんな事でも前向きに
捉えていける力は自然と身に
付いているのかもしれない。
その要因は本人の性格にも関係する。

やる気のない人に、いくら勧めても
口では、「そうねぇー」と答えても
行動するまでの距離は、とてつもなく
長く、最後には出来ない理由を
並べ立てるのが当然という結果になる。

赤の他人に自分が何の責任もないし
何か被害を受ける訳でもないから。
その人が実行しても、しなくても
勧める側には何も関係ないが・・・

やる気、根気、気力、意欲
これらは生きている本人の現在
エネルギーを端的に表している。
同じ人間であっても、今日は体調が
悪いとか、やる気になれない日が
存在する事からも分かるだろう。

理由が明確な場合は、それを
解決したり、取り除けば簡単に
元のパワーを取り戻せるが
何かの、きっかけがなければ
なかなか変われないのが現実かも・・・
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口癖

2018-10-29 09:05:45 | Weblog
自分が気付いている場合と
そうではなく人に指摘される時が
あるが、誰でも口癖があるだろう。
無意識に口をついて出る言葉、
或いは、何となく多用している
言葉は自然にその人の口癖になる。

その人しか発しない単語や言葉遣い
それも、頻繁に出て来れば口癖だ。
意味をなさない単語も頻繁に
繰り返されれば、結構耳障りに
感じる時もあるし・・・

使っている本人は別に悪気は
なくても、それを聞く相手が
不愉快に感じたり、捉えれば
次第に回数が増えるにつれて
指摘される事があるだろう。

ビジネスで多用される言葉の
代表的なものは「確認します」
しかし、大した事でもないのに
イチイチ確認するという単語を
使えば自分の責任ではない
というニュアンスを言外に含む。

「信じられない」「うっそー」
「本当?」「そうなの?」

これらの言葉は相手を疑って
いる訳ではなくても、反射的に
用いる人が居るし、それで
言われた相手は不機嫌になる。

相手を嘘つき呼ばわりしている
意識は本人にはないのに、相手は
そんなニュアンスで捉えている。
言葉はイントネーションや感情
使う場面で話す側と聞く方に
同じ様な認識していないから。

口癖自体が悪いものではないが
相手に誤解を与えたり、不快な
ニュアンスに捉えられるような
物は、極力避けた方がいい。

それを指摘してくれる人が
いたら、本当に発言者の為を
思って言う、ありがたい忠告
だと受け止めるべきだろう。
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温度差を感じる

2018-10-26 09:03:35 | Weblog
誰かと話をしている時に
或いは、一緒に何かをすると
温度差を感じる場合がある。
つまり、同じ場所や話をしても
全く違う事を感じるのは別に
珍しくないが、違和感とは違う。

所謂、温度差というのは
ついていけない、ちょっと
距離を置いた方がいいと思う。
そんなニュアンスを持っている。

分かりやすい例を挙げれば
非常に冷たい態度や機械的な
考えを持った発言の人は苦手。
或いは、余りにも熱く語り
同調しなければ相手が認める
まで言い続けたり、逆に貶す人。

単に意見の対立とは違う。
その人の人格や本音、隠れていた
根底が顕著に露出されてしまった。
そんな状態を聞き流せない
と思ったり、その人との関係を
今までと変える必要があると思う。

それは、建前論を展開している
間では決して起こらないだろう。
人は立場や置かれた状況によって
自分の考え方だけでは、そう
ならない行動や言葉を発する
場面も時には、あるけれど・・・

それが積もり積もって、或いは
その時間が長くなればなるほど
自分もその回路に違和感を持たず
染まってしまい、今までの自分が
本人も意識せずに変わってしまう。

外気温と室内の温度がほぼ同じ。
そういう所に居れば、余り
気温の変化や現状をありのまま
受け入れていけるけれど、
余りにもその差が大きければ
身体も心も違和感が増してくる。

人は日々の生活の中で瞬時に
色々な事を肌で感じて生きている。
その中で自分の不快や違和感が
なければ、長く頭に残ったり
気持ちの中で嫌悪感を齎さない。
意識があっても通過していくだけ。
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何を信じる ?

2018-10-24 09:05:59 | Weblog
街を歩けば様々な情報を実際に
目にするが、期待外れと思って
いたよりも良かった場合がある。

TVや雑誌、ネットや人の話から
様々な情報が発信されているが
そのどれが本当なのか、自分が
実際に確かめる事は少ないだろう。

誤情報は意図的に流される。
それによって誰かを貶めたり
損害や不利益を被らせる。
失脚やライバルを蹴落とす為に
自分の所に入ってきた、上がって
きた情報の精度を分析する。

それが正確にできれば、周囲から
かなり認められ、重宝がられる。
つまり、正しい目を持つことは
それだけ難しいし、誰を信じるか
何を基準や尺度の対象にするか
その選択は本人の経験だから。

大切なブレーンであったとしても
その人が、いつ、どんな場面で
矛先を変えて裏切るか分からない。
偶然を装って近づく方法も
典型的な計画の一部であり
後から本人が気づいても遅い。

情報は自分の知らない所から
簡単に漏れていく事実を知れば
むやみに人を信じる事はない。
しかし、性格は直りにくいし
余程、痛い目に遭わなければ
戒心するようにはならない。

人間は分かれる動物だから
喉もと過ぎれば遠い過去になる。
何も誰も信じない代わりに
自分のアンテナを感度よく
働かせて生きている人もいる。

最終的に人は誰かに頼るよりも
自分以外は信じられないと
思って生きている方が強くなれる。
その中身は程度によるけれど・・・

自分が色々とできるタイプであれば
余り不自由を感じずに生活できる。
或いは、なるようにしかならない。
そんな風に達観するのも1つの方法だ。
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自分の時間

2018-10-22 09:05:08 | Weblog
時間を自分の自由に操作する
事が出来れば、とても便利だ。
しかし、実際には延ばす事も
縮める事も出来ないし・・・
しなければならない事、与えられた
ものを、こなす生活が中心になる。

そして、考える時間がなければ
必然的に心のゆとりもなくなる。
イライラしたり、人に当たったり
殺気だった雰囲気をまき散らして
周囲に気を遣わせる結果になる。

相手に全く非がないのに不愉快な
状態を頻繁に齎せば、たとえ親しい
相手であっても自然に避けてくる。
一緒に暮らしている家族でさえ
共有する空間から別の所に移動する。

自分を上手くコントロール
できない状態になれば、それは
休養や気分転換が必要な時だ。
つまり、過剰な状態に隙間を
与えなければ、スムーズに次に
進めなくなっている事実に直面する。

そこで必要なのは自分の時間を
心の贅沢として費やす事だ。
平穏な気持ちになれる事をする。
それは人それぞれ違って当然だ。

趣味や生きがいがなければ
ただ時間を浪費しているだけで
充実感から対局の位置にあり
虚しさを何となく感じるだろう。

自分一人で過ごす事もあれば
心地よさを感じる相手や仲間と
思いっきりリフレッシュする。
身体の疲れは睡眠や休息すれば
簡単に取れるけれど、精神的な
疲労は簡単に消化できないから。

自分の人生は自分だけの時間を
どれだけ上手に作り出して
日々のストレスや不愉快な
出来事を相殺してしまえるか。
その一言に尽きるだろう。

あなたは、この秋に何をして
いつもの自分を取り戻しますか?
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