夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

小さな喜び & 幸せ

2023-09-29 09:27:40 | Weblog
毎日が平凡で単純な事の繰り返し。
楽しい事、嬉しい事も特にない。
もう遣りたい事もない。そんな風に
あなたは感じた事がありませんか?

自分の中で満たされていると感じない。
思わなくても、人の話を聞けば
自分が恵まれていると思う事がある。
或いは、当たり前だと思っていた
事が実は、それさえも出来ない。
そういう人が居るとは信じられない。

自分が、あらゆる種類の人と接して
生きていたら、個々の価値観や考え方の
違いだけではなく、普通とか当たり前
と自分が認識する事が違う機会が訪れる。
場所や暮らしが変われば常識も変わる。

自分が毎日の生活に張り合いや
生きがいを感じていないなら
何故、そう思ったり感じるのか?
根本の原因を探す事も解決策の1つ。

世の中、世界中の恵まれていない
人に比べて、自分がそうではない
事実に気付く事から始めれば、
小さな喜びや幸せを感じる様になる。

謙虚さ、感謝の気持ちを持つ事が
大切だと言うけれど、言葉だけ発して
実際に心が伴っていなければ自分の
心の中は空虚な状態である。所謂
口が勝手に体裁の為に喋っている。

病院通いや薬を必要としない健康な
身体。これも立派に幸せな事の1つ
だけど本人は、それ程、その事実に
感謝していないのだろう。それは
健康が当たり前だと思っているから。

毎日不自由なく、食べたい物を食べる。
経済的に高くて、我慢しなければ
ならない状態ではないから。3度の
食事を1食に減らして生活している
困窮した人も居る。それは、その人の
今までの生き方の問題だけど・・・

大抵の場合、突然、不幸が起こる
のではなく予兆がある。暴飲暴食を
するから、病気になる。睡眠不足
だから怪我をしたり、体調が優れない。

能力が低いから低収入の生活になり
見栄や浪費をするから、お金が無い。
無駄な物に投資するから。必要な物に
お金が使えず払えない。借金をする。
返せないから更に生活が困窮していく。
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母親の影響は重大!

2023-09-27 09:01:44 | Weblog
イクメンとか男女平等と言われても
育児の大部分は母親が担っている。
つまり、母親から受ける影響力が
1番幼少期の子供には強い状態だ。
共働きで生後数ヶ月から託児所に
預けて働く家庭も多いだろう。

物理的に経済的に、そうしなければ
ならない理由もあると思うけれど
将来、自分の子供が、どんな影響を
受けたかという点まで考える時間も
余裕もないから。他人に育てて貰う。

それが悪いか、良いかという
問題は横に置いておいて、
自分が子供と関わった時間だけ
ではなく、その内容。中身が問題
なのだ。ただそばに居るだけ、
子供に話しかけない。それではダメ。

外に出掛けても子供と手を繋いで
いるだけで、一切会話もない親子。
親から学ぶ事が少ない子供は常識
基礎能力が低い。経済力のない親に
育てられた子供は大抵、低収入の
仕事や精神疾患に陥る率が高い。

生きて行く力は母親の育て方。
ひいては母親自身の人間性が
関与している。そこまで大々的に
記事にすれば子育ては怖いとか。

お金が掛かるだけではなく大変と
いうイメージが先行して、増々
少子化になるかもしれない。
しかし、根本的に本当に重要な事、
重大な事は、取り上げない。それが
社会の仕組みとして出来上がっている。

自分が普段の生活に責任を持って
生きていけないなら、子供を産む
という大事業は避けた方が無難だ。

産んだら、育てなければならない。
産むより育てる期間の方が、よほど
長く。様々な問題児となる可能性が
どれだけあるのか分からないから。
考えないから、産めるのだとも言える。

子供を見れば親が分かる。昔から
言われる格言の1つだけど、的を
得ている。親の躾や家庭の様子が
集約された作品が子供という物体だ。
事件や犯罪、家庭に問題があるから
子供も、そういう風に育っていく。
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無駄か・必要かを決定

2023-09-25 09:07:29 | Weblog
無駄だと感じたり、必要がどうか
分からない事も日常的に起こる。
だからと言って、何でも、かんでも
溜め込んだり、無駄だと思わずに
取り組むと時間が足りなくなる。

つまり、子供だから分からない。
という事ではなく、大人になっても
自分にとって無駄か、分からない。
本当に必要なのか、判断出来ない。

その時、自分の中で、どちらかに
決定しなければならない場合に、
どうする? 何を基準に考える?
当然、答えは1つではない。本人の
価値観や基準の数だけ存在する。

深く物事を考えない人は、成り行きに
任せると言うだろう。それも方法と
しては悪くない時もあるし。判断
出来ないから、そうせざるを得ない。
そういう流れになって、後から後悔
する事も起こってくる。経験は力だ。

失敗から学ばなければ、何度も
同じ間違いをするし。似たような
出来事が起こっても、何も出来ない。
つまり無駄か、必要かという次元で
物事を最初から考える習慣が無い。

行き当たりばったりで上手く行く
確率は非常に少ない。たまたま
幸運だったとしか言えないだろう。
それが何度か続くと、ラッキーな人
と呼ばれたりするけれど、決して
自分の実力ではない。そう思うか?

人生の中で、本当に必要な物は
少ない。けれども無ければ不安
という心の状態を保つ為に不必要
だと思われる物に大金と時間を
費やしている人が多いのが現実だ。

清貧が1番理想的な状態かも知れない。
物に縛られずに自分の中で、何が
必要なのか、的を絞って生活する姿。
自然との濃密な時間によって更に
研ぎ澄まされた感覚と生きる基本の
最もシンプルな答えが生み出される。

高級な物質に恵まれた生活が必要か
と言えば、本人にとって他人に
見せびらかしたい執着心が強いだけ。

必要かどうか? 無駄か、将来の為の
投資なのか? その見解は、本人の
生きて来た過程と大きく関係してくる。
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人に頼る or 自分でする 

2023-09-22 09:04:49 | Weblog
育つ段階で周囲の大人や年上の人が
何でもしてくれた場合に、本人は
自分でする気がない。誰かが、いつも
してくれるという考えが確立する。
それで依頼心の基礎が出来上がる訳だ。

成長して自分が大人になっても
誰かに頼る生活が普通で当たり前。
だって今までも、そうして来たから。
一生独身であっても、絶えず、甘えて
自分にとって都合よく動いてくれる
人を探して生きていく事になる。

それが女性であれば、男性に媚びる。
その武器を捨てない限り安泰なのだ。
反対に、子供の時から親に何でも
自分でする事を習慣付けられたら
誰かにして貰うという発想がない。

何とか工夫して、自分の中で
考えられる方法や出来そうな
やり方を模索して動こうとする。

生活習慣病があるのと同じ様に
その人が育った成育歴も人生に
関係してくる。今までと違う事を
急にするように言われても戸惑いと
何でという疑問が頭を支配する。

大人になればなるほど、自分の
やり方や価値観が基準になるから。
考え方に柔軟性が乏しくなり、
以前と違うものに対して違和感や
抵抗感が強くなる傾向がある。

新しい物を素直に取り入れられる
タイプであれば、変える事に抵抗は
余り感じないかも知れないが・・・
予備知識が無ければ、全く新しい事を
自分ですれば時間が掛かるのは当然。

人生は経験値である。誰かに依存する
人は得てして自分で何かをした事が
少ないから。引き出しが非常に少ない。
だから話をしていても、この人は甘い。
そういう部分が目立ってしまう訳だ。

自分ですれば、その分、苦労しても
血肉になり、別の時に役に立つ事が
ある。つまり、様々な経験から考え
られる選択肢や発想、困難に対して
立ち向かう力が秀でるようになる。
自分で気付かなくても自然に身に付く。

人にして貰って解決したとしても
自分の身に付かず、成長しない。
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終活は必要か否か

2023-09-20 09:01:07 | Weblog
人生100年、終活という単語が
あちこちで頻繁に見られる。
長生きが本当に人生の幸せなのか
というと非常に疑問だけど・・・

何事も平均がある。自分が、いつ
死ぬのか、大抵の場合は分からない。
病気で余命宣言を受けても実際に
もっと長生きする人も居るから。

終活と聞いて、何を思い浮かべる?
自分が若ければ、まだまだ死ぬのは
先の事だと思う。老人の年齢に達して
いても、その自覚のない人も居る。
つまり、本人自身が終活を必要と
感じているか、どうかが問題なのだ。

必要と思わなければ、しなくていい。
周囲が何かと勧めたとしても、本人の
意思が反映されるのは当然の事だ。

残された周囲の人間、特に家族が
迷惑を受けると考えるのも、その人達が
考える尺度だ。老体に鞭打って片付けを
長期間に亘ってする事、自体が楽しいか?
本人が日頃から不要な物を溜め込まない
生活をしていたら、身辺整理も不要だ。

誰にも見られたくない事や物が
ある時点でコソコソとした生活を
していた証拠だから。自分の中で
思い出として残っていればいい。
潔い考えが無いから面倒なのだ。

終活に対して、評論家や著名人の
考えが記事になっている。する人も
居れば、しない人も居る。人は
誰でも同じ事に遭遇すれば、同じ
行動を取るとは限らないから。

自分が日頃からキチンとした生活を
送っていれば、わざわざする必要もない。
病気になった時、胃ろうや人工呼吸器を
付けるかどうか、最期はどこで迎えたいか。

家族が決めて、それが本人にとって
良かったのかという疑問や悶々とした
気持ちを抱えるタイプであれば
決めて置いて貰った方がいいだろう。
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