夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

目を掛けられるタイプ

2016-01-29 09:03:15 | Weblog
どんな場所でも、目を
掛けて貰えるタイプは
存在するのである。
人が判断する要素は
おおよそ大別される。

一生懸命で前向きに
行動する姿の人物。
意欲のない人間はダメ!

吸収する度合いが高く
能力や才能が他より
抜きん出ているタイプ。

分からない事を、
そのまま放置せず
解決する為に行動して
自分のモノにする。

人柄が抜群に良い。
ルックスが揃っている
のに、驕っていない。
ひたむきと謙虚な姿勢は
どこに行っても気に
入られる要素なのだ。

しかし、教えても
余り身に付かない。
期待を掛けていたのに
見かけ倒しという
タイプは、最初だけ
優遇して貰える人だ。

その位置付けになれば
評価は必然的に下がる。
何も分からない初心者の
時点と、ある程度の経験を
積んで急に人が変わる。
そんな印象を受ける人。

いい意味で変われば
成長したと思うが
真っ新な状態の時の方が
良かったと思う人も
絶対数存在している。

周囲が成功したと感じる、
他者を寄せ付けない
実力を身に付けると
人は傲慢になってしまう。

私の目から脱落して
行く人間は、それだけの
人物だと思う事にしている。
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時代に乗り遅れる人

2016-01-27 09:00:45 | Weblog
どんな時でも時代は
移り変わって行く。
今が一番新しいと
思っていても、それが
数年後には古くなって
使えなくなってしまう。

情報やシステム、機械や
技術であっても、更に
便利で使い勝手のいい
品物が登場した時点で、
従来の品物は市場から
消えてしまうのである。

売る為には、新しい物を
作り出すか、価格を下げるか
それが簡単な方法になる。

時代は誰が作り出すのか?
正確な所、自分の目で見て
確認する事は出来ないし。
この人だと実感する事も
普段の生活では、ないだろう。

選挙の演説で候補者が
色々と訴えている。
世の中を、こんな風に
自分が改革していくと・・・

いくら賛同できると
思っても当選するか、
どうかも不明だし・・・
当選しても、確かに
あの人が言った通りに
変わったと思う事がある?

時流に乗れる人は 
空気の変わり目を肌で
感じる事ができる。
目で確かめるのは後だ。

世の中に乗り遅れれば
自分が取り残されて
しまうけれど、生活に
支障が出るか、どうかは
内容によって違うから。

それで日常生活に
困る事が起きれば
乗り遅れないように
自分が行動するしかない。
特に、不便を感じなければ
何もしない派が多いだろう。

世の中が変わって
数が多くなれば、それが
ごく普通になってしまう。

アナログとデジタル。
それぞれに特徴があり
どちらを支持するかは
その人の考え方次第だ。
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主婦感覚は・・・

2016-01-25 09:01:51 | Weblog
結婚している女性は
自分の事を主婦と言う。
職業欄にも主婦と書く。
それは珍しくない。

学校を出て、すぐに
結婚する人は別として
少しの期間でも働いて
結婚した女性は、やがて
どっぷりと社会から
ズレた感覚になってしまう。

それは、何故なのか?
人は環境によって作られる。
ビジネスは基本的に勝負の
世界で、食うか、食われるか。
それが、ベースになっている。

どんな時でも、最悪の事態を
想定して動く事が当たり前だ。
最悪の事が起らなくても
それ以上、酷い事にならない。
そこを基準にして行動する。

しかし、自分が主な収入源
として家庭を支えていない
主婦の場合、家庭生活が
基盤であり、物事を考える
基準は仲良く暮らす。
友好条約なのである。

近所付き合いにしても
家庭にしても、勝敗という
世界とは無縁に生きている。
だから、最悪の事態を
想定しないで日々の生活を
過ごす事が習慣化している。

そこで、姉妹や学生時代に
仲が良くても、時を経て
社会でフルタイム働く女性と
主婦では、話も考え方も
合わなくなってしまう。

価値観や物の考え方に
相容れる所がなければ
話は噛み合わない。
何かを共同でする時に
お互いに取って、かなり
不快な状態を作り出す。

他人の場合であれば、
付き合わなければいい。
しかし、身内であれば
必然的に顔を合わせる
機会が生じて来るから。
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大なり小なり自分勝手

2016-01-22 09:02:12 | Weblog
人間は、大なり小なり
自分勝手な生き物だと
思う部分が、あるでしょ。

だから、自己中心だと
言われたり、呆れて
相手が離れてしまう。
誰も友達が居ない。
それも、本人が気付いて
いない原因があるから。

別に友達が居なくても
日常生活に不便はない。
今、巷では「おひとりさま」
と言う言葉が流行っている。

文字通り、一人で生きて行く
人生を選んでいる人を
指して言う言葉である。
世間に認知されれば
肩身の狭い思いをしない。

日本経済の発展が望めない
状況が続いていく中で
自分の思う通り、したい事が
限られてしまう現状に
多くの人が、わだかまりを
感じて生活しているだろう。

そんな世の中だから? 
更に自分勝手な人間が
増加しているのかも
知れないけど・・・

客観的に物事を見る。
それは、自分に取って
有利とか不利、損得勘定を
度外視した物の見方である。

自分に厳しい人間は
大抵の場合、客観的に
見る訓練を、どこかで
いつか、受けている。
だから、平等に出来る
人間は支持されるのだ。

「類は類を呼ぶ」
自分と似たような人間が
周囲に集まって来る。
自分勝手な人間が蔓延ると
犯罪や不快な出来事が
日常茶飯事になって来る。

法律が、すべてをカバー
している訳ではないから。
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恒例行事は必要か?

2016-01-20 09:02:48 | Weblog
自分が、何もしなくても
日が昇れば、朝が来て
昼になり、日が暮れれば
夜を迎えて一日が終わる。

同様に、除夜の鐘が鳴り
大晦日が終われば、
元旦、新しい一年が始まり、
成人式、バレンタイン、雛祭り。
恒例の行事が行われる。

子供の時や自分が特に
意識をしたり、意味合いが
強い場合は、そのイベントに
便乗して思い出を作るだろう。

それも年齢と共に、
何度が経験すれば、
やがて関心は薄れて
しまうのが事実なのだ。

年を取るにつれて
卒業していくと言えば
分かり易いかも知れない。

私は、子供の時に
その行事を一通り
親が熱心に行うので
参加した記憶が今でも
鮮明に残っている。

しかし、それに、どれ位
意味があるのかと思うと
今の時点で考えれば
親の自己満足の気がする。

結婚して子供が出来ても
必ずしも、時間とお金に
余裕があるとは限らない。
恒例行事をしない家庭も
少なからず、あるはずだ。

だから寂しいとか、
して貰いたかった。
そういう気持ちが子供から
大人になっても、ずっと
根強く残っているなら
不幸に当たるのだろうか?

何をするか、しないか。
自分で決めて責任を
持って生きて行くのが
一番だと私は思っている。
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