夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

どうしたのか?」

2018-01-31 09:01:30 | Weblog
同じ事を人に聞くとしても
言葉や使う単語で相手の
受け取る印象はガラリと変わる。

例えば、初対面か顔見知りに
関係なく、よく耳にするのは
相手を簡単に尋ねる言葉だ。

「どうしたん?」
「どうしてるの?」
「どうしてるんですか?」
「どうしました?」

内容は、どれも同じ事を尋ね
表現しているけれど、
最後の「どうしました?」
という言葉は問い詰めている
警察の尋問のような感じがする。

言葉は発する方よりも
受け取る側の印象を考えて
口に出すべきだろう。

自分が聞かれて不快な単語は
なるべく避けて使わない。
或いは、何この人? と
感じるニュアンスは決して
万人向けとは言えないだろう。

言葉は発した先から消えていく。
しかし、聞いた瞬間に捉えた
印象は簡単に消えていかない。
同じ単語でも人が感じる
ニュアンスや持つイメージは
異なっており、行き違いがある。

そういう意味で言ったわけでは
ないのに、いきなり怒り出す。
そんな場面に遭遇した事はない?
自分の事を責められたと感じたら
急に態度が豹変する人は多い。

実際に話す内容をキチンと
聞いていれば、そうではない
という事が分かるのに・・・

誤解や主語の省略であったり
こみ入った内容でもないのに
事細かに説明しなければ
分からない相手と話すのは
面倒になってしまうだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報を流す or 得る

2018-01-29 09:03:03 | Weblog
情報を必要としているのは
別にビジネスとは限らない。
誰よりも先に情報を得れば
それだけ有利になるのは
あらゆる分野で同じ事だ。

近所付き合いや噂話も
どの程度の信憑性があるか
イチイチ確かめなくても
幾つかの情報や目撃談で
大よその事態は掴めるから。

1つの情報を流すにしても
戦略や画策を持って行う
人物が居れば、それが事実の
正しい情報とは言えない。

つまり偽情報、誤情報を流す。
それを信用する人間が居れば
振り回す事によって自分が
全く別の行動を安全に取れる
対策になるのは確かだから。

情報の発信者は決まっており
大抵、そこには通常よりも
迅速にレアな情報が豊富に
揃っている場合が多い。

情報を得る側の人間は
たった1つの発信源よりも
複数の中から求めており
どれが精度は高いのか
という点も比較して調べる。

自分が信じた情報が後で
間違っていると気付いても
それが大勢に影響がなければ
問題はないけれど、誤情報を
信じたばかりに取り返しの
つかない事態に追いやられる。

組織であれば、その責任を
問われるか、不祥事関係は
隠匿に走ってしまうだろう。

ビシネスやプライベートに
関係なく、多くの情報が氾濫し
簡単に自分で調べられる時代に
なっており、その分だけ
振り回される度合いが高い。

日常的にも自分で判断できる
能力を兼ね備えておくべきだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若さと引き換え

2018-01-26 09:03:47 | Weblog
人生80年と言われているが
自分が何歳まで生きるか
死ぬ時にしか分からない。
統計や平均値を出すのが
世の中は大好きなのかも・・・

生まれた時から何ヶ月で
ハイハイが出来るとか
つかまり立ち、オムツ離れ
まで、何でも平均では
という単語を使っている。

学校に上がれば勉強は平均点
偏差値で、すべて判断される。
学業から解放され社会人に
なっても、出世の役職や
平均年収という数値化は
ごく当然の事になっている。

若いと人が判断する期間は
人生の中で微妙であり短い。
中年の人を捉まえて若いと
発言する老人も多いからだ。

しかし、一般的に中年は若い
という形容から外れている。
若さは限られた時間の間だけ
存在しており、たとえ整形で
見かけを若作りしても、身体
自体は年齢相応に傷んでいる。

魔法のように消えてしまう
若さから、ある日、ある時を
境にして、自分は若くない
という自覚と他人の扱いを
受けて疎外感を持つ人も居る。

年齢を経た人達は若さ以外の
何を得て生きているのか
考えた事は、あるだろうか?
自らが何かに打ち込んで
生きていれば、人よりも
優れた点を持つ事ができる。

しかし、特別に何もせず、
その日を生きてきたら
ただ単に年を取っただけ。
中身の詰まっていない状態に
なってしまうが、それを
人は口に出さないだけだ。

若さと引き換えに別のものを
手に入れた人は年を経ても
はたから見れば輝いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穏やかな時間

2018-01-24 09:04:28 | Weblog
すべき事柄に追われていない。
それが仕事か、プライベートの
部分なのか、その点は関係ない。
そして、天候も晴れて気持ちが
いいと思う状態であれば
自然に穏やかな気分になる。

心に余裕やゆとりがなければ
ちょっとした事に対して
イライラしたり、腹が立ったり
マヌケな失敗が発生する。

スケジュールが詰まって
いないと不安や落ち着かない
タイプの人は要注意である。

人間は休息を必要として
生きており、それが全くない
状態に長期間晒されると
ダメージが出てくる。

具体的な症状や病気という
分かりやすい状態になれば
自覚するかもしれないが・・・
ごく初期の時点では全く
自覚のない場合が多いから。

その真逆の位置にあるのが
穏やかな気持ちで時間を
過ごしている状態であり
機械で測定しなくても
脳も身体もリラックスしている。

人生の中で穏やかな時間が
一体、どれ位あるだろうか?
当然の事ながら個人差は
かなり大きな幅で表れる。

生まれながらにして恵まれた
状態であれば時間もお金にも
追われずに生活できるが、
殆どの人は、その世界に居ない。

時間とお金に余裕があっても
退屈でする事がない生活や
病気で臥せっていなくても
健康を害していれば、必ずしも
穏やかな状態とは言えない。

人に映る印象とは異なり
自分自身が穏やかな事を
感じれば、それでいいから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日に特別の感情は・・・

2018-01-22 09:04:58 | Weblog
365分の1。1年の内の
たった1日が記念日であったり
祝日や季節の年間行事になる。
毎年、それは、何も変わりなく
訪れているが、その中で何を
1番重視し、嬉しいか人による。

誰でも誕生日があり、それを
祝うのは、ごく普通の事に
昔からなっているが、それを
嬉しいと素直に受け止める
期間は人生の中で意外に
短い間だけと思うけど・・・

女性に年齢を聞くのは
失礼だという暗黙の了解
めいたものも、その1つだ。

生まれた時の記憶は本人には
全くないのが現実であり
その様子を話やビデオ
或いは写真に残せば、ある程度
知る事は、できるが・・・

誕生に際して、本当に皆が
祝福したかは、分からない。
事実は残酷で言わない方が
かえって救われる部分もある。
望まれない子供や子供が嫌いな
親は育児放棄を普通に行う。

子供は住む所と食べ物さえ
与えていれば、外見は成長する。
しかし、重要な事は目に見えない
内面の部分であり、愛情を
受けて育ったか、どうかは
その後の人格形成に影響する。

表面的なお祭り気分で誕生日を
祝う事も1つのイベントに
違いないが、年齢を1つずつ
経る事に対して、喜べない
自分がいたら、お祝いなんて
して欲しいと思わないだろう。

誕生日が特別重要なイベント
だと感じているのは独身の間
或いは、子供の時代だけだ。
中年や老年期になって盛大に
するのも個人の自由だけど・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする