夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

扉が開いていたら覗く?

2010-06-30 05:35:29 | Weblog
家の扉や店の扉が
開いていたら、あなたは
中を覗くだろうか?
どうぞ、お入り下さい
と記されて、開いていたら
当然、覗くのは変じゃない。

それは、中を見て下さい。
安心して入って下さい。
そういう意図がある。
外から中が見えない、
閉ざされた扉を開けるのは
少し勇気がいる。

しかし、風通しの為に?
クーラーを入れるほどでもない
場合に、扉や窓を開けている
家は珍しくない。

あるいは、引越しの最中に
扉が全開していたり、
人の出入りが多くて、
臭いが充満して、
玄関先の用事で扉を
開けている場合もある。

偶然、その前を通りかかり
首だけ扉の方に向けて
中を覗く人もいるだろう。
開いているのは
分かっていても、別に
まっすぐ何も見ないで通る。

わざわざ用事もないのに、
その方向でもないけど、
開いているのが気になって?
興味津々なのか
覗きに来る人も居る。

覗き見するのは、
何も女の裸だけではない。
入るつもりで空いているか
覗くのと意味が違う。

覗かれたくなければ
閉めておけばいい。
たぶん、覗いて見る人間は
そう言うに決まっている。

覗き見している人と
中に居る人間が、顔を合わせたら
どちらが気まずいだろう?
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見た事がある顔

2010-06-29 05:35:47 | Weblog
生きてきた年齢によっても
人と接する機会が多いか
少ないかによっても
かなり違うが・・・
どこかで見た事がある顔。
それなのに、思い出せない。

最初の頃は、事細かに
覚えていたが、だんだん
会う数が半端ではない
仕事やバイトをしていると
確かに見た顔の人が居る。

しかし、名前も、どこで
会ったかも分からない。
最近会った人であれば
もちろん覚えているが・・・

不特定多数の人間を
相手にしていたら
自分が話していなくても
その場に居合わせただけで
向こうは鮮明に自分の事を
覚えていて、声を掛けてくる。

私の記憶の中では
会った覚えはないのに。
確かに、その場所に
居た事は間違いないけれど・・・

たった1度だけしか
会わなくても、もう
何年経過しているのか
分からない年月でさえ
確かに、会った事がある。

私は、かなり人の顔を
覚えている方だ。
向こうが鮮明に思い出すまで
こういう状況だったと
話し続けられる位に・・・

雑誌で見掛ける人も
何年か経過すれば
かなり年をとったとか、
余り変わらないとか、
喋った事がなくても
印象に残るものだ。
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どこまで本当なのか?

2010-06-28 05:35:44 | Weblog
雑誌や新聞、TVやラジオ
様々な媒体から流れてくる
情報や話は、どこまで
本当なのだろうか?

真実のみを報道する
趣旨でありながら
捏造されていたり
やらせの番組も多い。

人の話も、全部本当なのか?
面白いように事実を
脚色している場合もある。
この人なら信用できる。
嘘は絶対に言わない。

本当の話の中に
いくつか嘘を散りばめて
話をしているなら、
その嘘が発覚しなければ
すべて本当だと信じるだろう。

しかし、嘘が1つでも
ある時点で、この話は
信用できないと判断する
人も居るのは確かだ。

すべて大ぼらの嘘でも
本当のように聞こえたら
それは巧みな話術のセイだ。
世の中には、実際に
自分の目で見なければ
信じられない現実もある。

本当か嘘なのか?
それが重要だと感じるか、
さほど気にしていないか、
個人の価値観が大いに
関係してくるだろう。

騙されるのは、本人に
知識が乏しい場合や
疑う事が出来ないタイプ
面の皮が厚い時も当てはまる。

信じられない事ばかり
起こっている世の中。
聞いた話は本当なのか、
自分が判断しなければ
ならないだろう。
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褒めて、おだてる

2010-06-27 05:35:00 | Weblog
最近の月雑誌は
子育てに関するものが
増えているようだ。
人口が減ろうと
子供は、いつの時代にも
生まれてくる。

英才教育をしている
学校や塾に入れる為に
親が熱心に子供の尻を
叩くのは、子供に
自分が出来なかった夢を
託しているのかもしれない。

教育だけが、すべてのように
思われているが、明らかに
勉強漬けの人間には
欠陥が見受けられる。

学校では優等生でも、
社会に出ると対人関係や
自分が自発的に考えて
動かなければならない時に
ずっと指示を待っている。

子供を伸ばす為には
できた事を褒めてあげる。
上手く行くまで辛抱して
見守ることが必要なのだ。
しかし、すぐに横から
親は口を出してしまう。

子供のやる気がなくなり、
芽を摘んでいることに
気付いていない親は多い。

子育ては我慢して
繰り返し、子供に
教えなければならない。
親にとっては忍耐力と
根気が必要な作業なのだ。

褒めて、おだてるのは
大人にも当てはまる
操縦法かもしれない。
褒められるだけで
有頂天になるのは
実は、単純な人間である。
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求人があっても・・・

2010-06-26 05:39:51 | Weblog
不況が長引いている。
一体、いつになれば
景気は回復するのだろうか?
明るい材料や見通しは
何もない気がする。

バブル期に入社した
管理職は、部下の力に
なってくれそうにない
という評価が強いらしい。

確かに、入社した時期によって
生きてきた社会情勢は違う。
受けてきた教育や恩恵は
明らかに異なってくる。
若い人間は簡単に会社を辞める。

フリーターであろうが、
バイトでもいいなら
年齢制限に引っかからない間は、
時給さえ煩く言わなければ
どこかで働くことは出来る。

しかし、中高年になれば
自分の意志で退職したか
解雇や倒産に関係なく、
再就職は、求人があっても
厳しい状況である。

年齢の壁を覆すことは
日本社会では無理なのだ。
いくら外見が若く見えても
別の戸籍を入手して
他人になりすまさなければ
年齢を変えることは出来ない。

経験してきた仕事でさえ
年齢制限に引っかかってしまう。
何故、年齢ですべて
分けてしまうのか?

同じ年齢でも体力や気力、
やる気や仕事の出来具合は
明らかに差がある。
しかし、年齢で簡単に切られて
応募する資格さえ与えられない。

浮浪者や犯罪者が増えるのも
世相を如実に現している。
たかが年齢、されど年齢。
見かけを変えても
戸籍の年齢は変わらない。
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