夢華の言いたい放題

夢華の視点から見た出来事や特集

自信がない

2018-05-30 09:03:04 | Weblog
顔を見れば、明るい雰囲気や
暗いタイプであるとか
自信を持っている、自信がない
オドオドした態度という
ものが顕著に現れている。

自信過剰と自信がある人とは
発言内容や態度が異なる。
自信過剰は旗から見れば
実力が伴っていない場合や
鼻につく発言の人を指している。
良いニュアンスには使わない。

自信がある人というのは
生き生きとしており、何かを
尋ねてもキチンと答える。
それが自分の仕事であれば
ほかの人よりも深い所まで
把握している事柄も織り込む。

それに対して自信がない人は
最初から自分に声を掛けて
貰いたいと思っていない。
まして大勢の前で発言する事を
嫌っているので、目立たない
ように隅の方に居るタイプだ。

自信がない理由としては
仕事であれば実力がない。
当たり前の事ができない。
何度も同じ事を注意されても
全く進歩が感じられない。
周囲をイライラさせてしまう。

幼少期から差別されてきたり
自分を肯定できない生き方を
しており、一言でいえば、
生まれ変わりたい願望が強い。

どんな事でもいいから、何か
1つでも人より優れたものを
持てば、そこから自信は生まれる。
人に認められるという事が
更に、もっと高い部分を目指す
ようになっていくからだ。

自信がない人が脱皮して
自信を持った姿になれば
別人のように感じるだろう。
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気が合う or 合わない

2018-05-28 09:05:14 | Weblog
一人暮らしや田舎に住んでも
誰とも会わず、喋らずに
生活するのは無理だろう。
引きこもりの人でさえ
家族や誰かと会話をしない
生活は送っていないから。

つまり、人は喋らずには
生きていけない状態なのだ。
自分で選ぶ事ができる場合は
気の合う人と付き合いたい。
誰でも、そう思うだろう。

気が合うというのは、どこで
何から判断するかと言えば
話の内容や関心のある事柄
服装や持ち物、髪型や雰囲気
その人の個性や自分で選んだ
部分から読み取る事ができる。

更に、初歩的な時候の会話から
相手の発するトーンや受け答え
世間を賑わせている無難な話題
からも会話が途切れるか、次々と
話が広がっていくか、判断できる。

好意的な言葉と反発を感じる
言葉、或いは良い例として
用いる単語と悪いニュアンスの
代表として使う言葉がある。

本人が意図して用いている
場合は、悪意のワザトである。
しかし、微妙なニュアンスを
知らずに用いる場合は、本人の
無知が露出するだけだ。

気の合わない人と一緒に居る。
その時間がたとえ僅かでも
息が詰まるような感じになる。
同じ空間に居るだけで生理的に
嫌な人がいればストレスだ。

気が合わない人に対して
無理に合わせていると
後でグッタリしてしまう。

わざわざ喧嘩や言い争いを
しなくても、気が合わないと
判断した人を遠ざける方法を
身に付ければ、相手に、どう
思われてもいいという意思が
なければ、できないだろう。
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したい事がない?

2018-05-25 09:03:45 | Weblog
世間には、たっぷり時間があり
経済的にも恵まれて、自分が
したい事を全部してしまった。

そんな人も居るが、果たして
それが幸せなのかと言えば、
ある意味で不幸だというのは
近親者に該当者が居れば分かる。

多くの人は自分のしたい事を
すべて出来る状態にはない。
それが現実で事実の状態だ。

その視点の人から見れば
したい事を全部できた人は
凄く羨ましく、幸せな人だ
という概念以外に思いつかない。

しかし、人間は寿命が長くなり
短命だから不幸で長寿だから
幸せとは限らないし、年を
とって体が不自由な状態を
あれこれ嘆く人もいる。

健康でも、したい事はない
と愚痴ばかり、言い続ける人間と
居ても愉快な気分にならない。
つまり、寿命と自分のしたい事が
ピッタリ一致していれば、とても
素晴らしいと思うが、これは稀だ。

したい事がないというのは
本人が様々な事をしてきた
結果であると同時に、本人の
関心や意欲が低下してきた
証でもあり、体力や気力が
衰えれば、愚痴が増える。

したい事が簡単で、すぐに
出来る事であれば望み通り
叶うけれど、それだけでは
物足りなくなるのが人間だ。

平凡で普通の人生でいいという
人でも、これはしておきたい
と思うものが複数あるだろう。
欲望にもキリがないし、本人の
満足度との兼ね合いは難しい。
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ショックを受けると・・・

2018-05-23 09:02:56 | Weblog
人は突然ショックを受けると
頭が何も受け付けなくなる。
所謂、放心状態に陥る訳だ。
そんな時に、何かしなければ
と思って、動いても後から
後悔するような事しかできない。

ショックというのは、自分が
思っても見ない事が起きる。
或いは、信じたくない事柄が
現実や事実だと明かされる。
想像できない状態に急になった。

自分が受け入れられない事態に
何故か、なってしまっている。
事実と現実は見えているが
信じたくないし認めたくない。
色々な場合が該当してくる。

もしショックを受けたら、
その度合いが自分にとって
ダメージが強いほど、身体と心は
短期間で蝕まれてしまう。

身体の変化は目に見えるものと
後から自覚症状が現れる場合に
分かれてくるが、心の方が厄介だ。

ショックから上手く立ち直る
事が出来た時に、その出来事や
一連の事柄を振り返ると、たぶん
考えたくない自分が登場する。
つまり、乗り越えていない状態だ。

どれだけのショックを受けても
大抵の人は時間が解決して
元の自分に回復されていく。
しかし、ショックという引き金に
よって、ドンドン心も身体も
低下していく人は、歯止めがない。

元気がない状態に相手が同情や
気遣いをしてくれる事で
居心地の良さを感じてしまう。
同情を引くのがうまい人もいる。

そんなタイプは腫れ物に触る
ような周囲に甘やかされて
自分で立ち直りたいという
気持ちが薄れてなくなるから。
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数々の言い訳

2018-05-21 09:06:53 | Weblog
誰でも人は言い訳をする。
何故、するのかと言えば
本当の事、事実をそのまま
話してしまえば怒られる。

機嫌が悪くなって色々と
説教されたり、小言を聞く
時間がどれ位になるのか?
そう考えると無難な言い訳
或いは、納得する事柄を
でっち上げた方が遥かにいい。

そう判断して言い訳をする。
確信的な知能犯に違いない。
言い訳は具合が悪くなった、
親戚や身内の不幸も結構多い。

使い回しされたものより
突飛な事でも、ありうると
思われる理由であれば
簡単に相手を、その場を
丸く収める事が可能になる。

失敗や勘違いによる対人関係の
言い訳は、すればするほど
相手の評価は格段に落ちていく。
素直に認める事も1つの人格
として判断されるからだ。

込み入った話の言い訳は
裏を取られれば簡単に露出
してしまうようではダメだ。
完璧なアリバイというと
犯罪めいたニュアンスが
するけれど、バレズに通す。

そんな覚悟がなければ
知らないのは本人だけ
簡単に周囲にバレたら
その時点で、おしまいだ。

即興で相手を納得させられる
展開ができる人であれば
余程頻繁に言い訳をしない
限り、何事もなかったように
無事に通過してしまうだろう。

今度は、それを味にしめたら
ドツボにはまってしまう。
何事も頻繁にしてはいけない。

言い訳をする人は、いつでも
自分が悪いとは思っていない。
仕方ない事、そういう認識だ。
だから、素直に、そのままの事を
告げて自分に非があるという
事態には決してしたくないから。
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