吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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西洋での異端派 No233

2011-02-19 09:08:19 | 日記
前回の記事『アニミズムとトイレの神様』
「陶器は使い込むうちに味が出てくるのだが、西洋人はこういう感覚に疎い。
例えば日本刀にしても鍛えて魂を吹き込むということの本質が分からない。
日本刀の技術は創意工夫の知恵で出来上がるものではない。」
と述べているが、全く西洋にそういう要素が無いと言っている訳ではない。
例えばバイオリンの銘器であるストラディバリウスなどはすばらしい音色を奏でる。
憶測で言えば彼ストラディバリは間違いなく何かを感じ取ったのであろうが
それを信仰として表現することの自由を奪われていたと思われる。
弟子にも伝えられなかったその秘法は結局ロストテクノロジーとなってしまった。
もちろん現在の科学ではその当時の気候など好条件の重なりを示唆するが
あくまで分析の結果を知ったかぶりするだけで同じものを作れる訳ではない。
こういうと細菌で腐食させた木材で作れると知識を披露する輩が必ず出てくるが
100年後の評価でみればやはりストラディバリは名器であろう。
おおよそ精霊が宿ると云われる物は時を経てますます磨きをかける。
バイオリンの熟成は200年から300年とも云われており古陶器の熟成と似かよる。

熟成といえば、ワインやシャンパンも熟成して芳香する。
紀元前6000年頃のメソポタミアのシュメールではもうワインが存在している。
当然神に捧げる飲み物であったことは想像に難くない。
フランスやイタリアで作られるワインの作り手は合理性という言葉では
語りつくすことが出来ない神秘を垣間見てきた筈である。
熟成というのは精霊の宿る発酵のことであるが、
自然界の神秘をたった一人の神に結びつけることの方が合理性に欠ける気がする。
しかしながらキリスト教においてもヘレニズムの多神教を完全に消し去ることは出来ずに
キリスト教の初期におけるグノーシス派では、
人間を体(ソーマ)と魂(プシュケー)と霊(プネウマ)の三重からなる実体と想定している。
プシュケは単体では精霊と考えられるがそれを信じるものは魔女とされた。
おかしなことに日本ではキリスト教でいう聖霊と精霊が同じ発音となったが
片方は三位一体の神で片方は魔女や錬金術師が信仰するアニミズムである。

ちなみに錬金術Alchemyでは物質にも精があるとされエリクシールと呼ばれる。
ちなみに資生堂の「エリクシール」はフランス語ELIXIR=「万能薬」となっているが
これは生命の根元たる精である「生命のエリクシール」のことで不老不死をもたらす。
当然魔女や錬金術の産物でありキリスト教者にとっては異端である。

不思議なことに骨董品でもバイオリンでもワインでも
真髄を味わうためには観る者味わう者にも感応を要求する。
真骨頂を区別し理解できるのは僅かばかりの人だけとなる。

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