吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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今西コレクションからみる収集癖の根底 No300

2011-10-07 22:41:47 | 神霊界考察
平成23年9月16日(金)~11月6日(日)まで
『熊本県立美術館 今西コレクション名品展』を開催している。
これは熊本県立美術館が遺族により今西菊松氏のコレクションの寄贈を受けてから
何回目かの展示会になると思う。
この今西菊松氏のコレクションは私に少なからず影響というか衝撃を与えた。
彼の美術品狂いはある意味狂人的であり
自分の血にも通じるので良く分かる。
まず氏は1913生~1987没という74年の人生を生き
第二次世界大戦後にシベリア抑留を経験している。
帰国後に熊本のNHKに就職し生涯をサラリーマンで送っている。
他家に嫁いだ姉の家に転がり込み4畳半の部屋に居候という生活を続けた。
その生活は爪に火を灯すような倹約生活で
昼はNHKの食堂で素そばや素うどんをすすり
夜は塩かけご飯を食べほとんど風呂にも入らず
着のみ着のままの恰好だったという。
もちろん局員の間でも変人で通っていた。
彼の逸話として有名なのが結婚を勧める人に対して言った
「おなごは飯くいますもん」という一言。
4畳半の部屋にうず高く積まれたコレクションは総数440点、
このうち250点が肉筆浮世絵である。
収集には統一性と彼の美意識が見られ第一級のコレクションといえる。
どこからか情報を聞きつけ直接プロの入札会に顔を出して
目的のものをなぜかスーッとさらうように落札したという。
まさに何かに取りつかれて収集している。
もうひとつ特徴的なことが彼はこの収集をほとんど誰にも見せず
転売もしていないことにある。
いわゆる骨董病とは違うようだ。

私が尊敬する超オーディオマニアの五味康祐氏は
クラッシック音楽をこよなく愛していたが
自分の魂が研ぎ澄まされるごとにコレクションのレコードが減っていき
最後には100枚程度しかなかったという。
聞かないものはコレクションから外すという徹底ぶりで
泣くような思いでコレクションを厳選し捨てていき
残された数少ないレコードを溺愛していた。
彼のこだわりは厳しさを持ち
レコードにひげを付ける人間は音楽を聴く資格がないとも言っていた。
これこそコレクションの真髄である。
また小林秀雄氏はどんなに愛着がある骨董品でも
さらにその上をいく人間の収集欲には勝てず
結局は譲らざる得なくなるという。
とにかく好きとなると寝ても覚めても風呂の中でも抱いていたいし
あるいはそれが人のものでも頭の中はそのことだけで
未成年の恋愛の様な熱を帯びた激しさがそこにあるのだ。
またその中ではかならずと言っていいように
物々交換が為されることになる。
彼ら大人とも子供とも表現できない骨董愛友会においては
有島武郎ではないが、惜しみなく骨董は奪うものらしい。
そして骨董自身が愛でる人を求めて巡るのである。
骨董品とは唯一無二であり骨董品そのものにも物の霊が宿る
物権を超えたものであるように思える。

そんな骨董談義の中で今西菊松氏は特異なのだ。
あくまで自らのためだけに収集し
その目的も完全に自らの湧き出る欲求に根差している。
他人は入り込む余地がない。
目垢がつくことを知っていたのか見せることもない。
彼の真贋を見る目は曇ることがなかったが
ここでは最終的にその価値が数十億だったということに
とらわれることなく違った見方で評価したい。

氏の特異な才能と言動を重ね合わせて出てくるものは
アスペルガー症候群・高機能自閉障害である。
自閉的で美術品への特異的固執が見られる。
私の場合でいえば神霊世界への固執となるのだが、
あるものにたいする無償の固執的症状が
非常に似ていると感じられる。
この症状はピーキーな才能とでもいうべき特殊な能力として発現することがあり
サヴァン症候群とも呼ばれる。
一般人とは違った眼力で本質を見抜いていたのであろう。

芸術家の才能というものは当然ながら芸術的才能なのだが
骨董品の真贋を見分ける目というものは
芸術に根差すのではなく技術の分野になる。
生み出す才能と見極め発掘する才能の違いである。

彼のコレクションは美術館に寄贈され
氏の生涯は高く評価されるに至ったがそれが本意という訳では
無かったろうと思われる。

この外から見る限り苦しい症状がシベリア抑留に端を発するとすれば
非常に悲しいことである。
無理矢理に幸せの定義を当てはめることは本意ではないが
どんな芸術性が高い美術品を収集したとしても
あるいは本人がどんなに満足だと感じていても
喜怒哀楽と人とのコミュニケーションとに欠けた人生には
何かしらの霊的兆候が見られる。

それが取り払われた時のあるいは洗脳から覚めたときの
あるいは霊的障害を祓った時のすがすがしさというものを
はた目にも自分自身でも経験してきたからこそ分かるのである。

この熊本の宝ともいえるコレクションに対する賞賛は
まずこれを寄贈した今西氏の姉に捧げたい。
弟思いの姉であったのであろう。
資産価値も十分に理解していたものと思う。
弟を世の中で評価してもらいたいという思いを強く感じる。
ただ骨董品というものは収集家の手を離れ博物館に収納されたときに
輝きを失うのも事実である。
人から人の手に渡り愛でられることにより価値が発生した歴史所以である。
そこに背反したジレンマがある。


PS.筆者は20年前に美術館で
彼の所持していた李朝の刷毛目茶碗がもう二度と個人の愛蔵にならないことを
苦々しく感じながら嫉妬したのである。
永遠に自分のものとするには割るか燃やすか美術館に寄贈するかである。
浮世絵や絵の描かれた磁器はともかく
陶器は所持され手に持たれてこそ真価というか本質的な輝きを見せるのである。
彼自身が寄贈したことでないことを良しとし
今西氏の御魂の昇華を祈りたい。



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4 コメント

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新時代到来? (すずたま)
2016-10-30 00:32:55
御返信ありがとうございます。
「ある生まれ持った特殊性を持つ人物」とかに元々興味津々ですが、そんな人物が自分を語ったりしてくれたら、もう面白く楽しくてにこにこしちゃいますね(*^。^*)
本人にとっては大変な話なのに、ちょっと離れたところで見てますから。
ところがなんで面白く楽しいかというと、実は自分もちょっとヘンだと自覚してるから、自分より大変な人がいるんだと、余裕な気分を持てるからかもしれないと思うんですね。
完全なバランスの人なんかいなくて、実はみんなヘンなところがある、それを知りつつみんな自分に目をふさいでる。
バランスのいろいろが個性というもので、超極端な個性の人がまれにいるだけで、~障害と名づけるのはほんとはおかしいかも。
潜在意識下ではみんな自覚してるから、自分に似た部分を人に発見して嗤ったり嫌悪したりいじめたりするのかも。

しかし超極端な個性の子を育てる母親にとってはまさに修羅場、それをじかに見てきたわけです。
もともとその要素がある長女が孫を育てるのは、地獄にひとしいものがあるわけで。
殴って黙らせる時代ではないから言葉で叱る、というか感情的に怒る、しかしそれでは何の足しにもならないどころか火に油を注ぐだけ。というか火に火で向かってさらなる修羅場になるだけ。これは「水」で鎮めるしかない。というわけで「母なるもの」になりきってひたすら抱きしめる。
まあ長女は1人で5人分くらいの子を育てつつ5回生きなおすくらいの修行をしているところなわけです。(おまけに年子で下に双子がいるんです、笑)

>右脳と左脳の連絡系統がおかしいから仮想的に見ると論理的にいいつつ、実は神霊を感じるために思考が特化していることを十分に理解しています。

ナントカ障害による天才発揮は、ほんとに右脳と左脳の連絡系統がおかしいからなのでしょうか?
特化された思考がさらに研ぎ澄まされていくためには、右脳の物凄い潜在的能力を左脳が邪魔しないことが必要ということなのか??神霊とのダイレクトな連絡は右脳が担当するから?いや脳の話の範疇ではないのかも…

それにしても、孫の世代に手厚い保護と教育が施される時代になったことは、呉音霊(神)が日本を立ち直らせる時代の近い到来とも繋がる気がするのです。
返信する
吉田一氣 (すずたまさまへの返信)
2016-10-28 22:11:12
こういう古い記事にコメントいただけますと
二重にとてもうれしいですね。
私のブログの意義を私以上に理解されていると思います。

さて私は大分の竹田という田舎の小学校でしたから
なんとかなったような気もします。
通知表見ると私の席の周りの生徒まで落ち着きが
無くなると書かれていたような記憶があります。
あと教師生活30年で一番ひどいという話もありました。
断言は出来ませんが暴力の恐怖で
少しはおとなしくなる側面もありました。
いや親・先生含めて相当にビンタされましたから
それでなんとかなったような....
登校拒否もひどかったのですが
これも親の断固とした態度で毎日毎日泣きながら
学校に通っていました。
朝、石投げて家のガラス割ったりして...
父親に投げ飛ばされたりして
まさに三界に住処なしでした。
とにかく父親が怖くて顔を合わせる夕食が
自分の一番の修羅場でした。
まあ今は体罰が少ないので
おとなしくさせることは自分の経験上まず無理でしょうね。
後で話を聞くと本当の修羅場だったのは
母親だったみたいです。
子供数人分の苦労だったとか。
あとしゃべることの半分は嘘でした。
空想と現実の境があいまいでしたね。
これが中学生になったとたんに治ったのですが
高校に行くとまたもやおかしくなりました。
例えば英語が急に嫌いになってしまい
教科書を開いた記憶がほとんどありません。
赤点ばかりでしたがズルして単位を取りました。
天才的姑息さが身を助けてくれました。

おかしいところを隠す姑息な技術を学んでからは
言うこと聞かないけれど優秀な技術者とされました。
仕事上は業者を使う親分的なものが多かったですが
一般的でない独自のやり方を押し通しましたが
それがなぜかうまくいくという評判になってくれました。
無理難題の仕事ばかりでしたがあいつには歯向かうなという業者間の伝言ゲームで
皆さんよく従ってくれました。
趣味の世界の仲間内ではまず自分のやり方は
十中八九否定されますが、
このブログ見ても分かる通り理解されにくいのですよ。
でも極限状態では妙に自信のある私の発言に皆さん従ってくれます。
例えば洞窟の中で道に迷い出られなくなった時には
急に仲間が猫になったかのように私に従ってくれて
無事脱出できました。
隠す能力的には神霊などというものは
右脳と左脳の連絡系統がおかしいから仮想的に見ると
論理的にいいつつ
実は神霊を感じるために思考が特化していることを
十分に理解しています。
まあめったに存在しない一人ですね。
敗者となるのか勝者となるかは
御神霊の采配次第です。
返信する
続き、および補遺 (すずたま)
2016-10-28 10:49:21
上のコメは御記事の内容を読み込まないまま、失礼な物言いやつまらないことを書いてしまい申し訳ありません。

右螺旋とか左螺旋とか、記事に関係ないわけわからないことを書いてしまいましたが、将来アスペルガー的兆候を兆しそうな気配のある「多動性」の孫に、こちらが吹っ飛ばされそうな強い左螺旋エネルギーを感じるのは実感であり、母親である長女も「わかる!」と同意するのです。

右螺旋左螺旋に敏感になったのは、気流法という舞の一種を15年ほど前に習ったことからです。舞の基本は、各々が8の字を基本とする動作から初めて、二人がお互いに大きな8の字上を反対まわりに近づいて8の字の真ん中の交点でぶつかるところでするりと抜け、遠ざかり、それを繰り返すというものですが、動画とかでないと、また実際体験しないと理解不能とは思うのですが、基本動作8の字を会得すれば、この交点で絶対に衝突しないわけです。

この基本8の字動作とは、言い替えると左螺旋と右螺旋をバランスよく繰り返すということであり、二人の人間が反対側から近づいて行っても、お互いが右から左、左から右への転換を衝突寸前に行えば、絶対に衝突せず、むしろお互いのエネルギーの交換があるのです。だから永遠に繰り返していたいほど心身とも活性化して元気になっていくのです。

言葉で説明しても結局わけわからないですが・・・例えば雑踏でてんでな方向に向かおうとする群衆がぶつからずにお互いをすり抜けて行けるのは、この左右螺旋の動きを各々がしているからです。これはお互いが無意識のうちにお互いの動きを読みつつどちらかの螺旋を選んでいるのです。
これはまた水槽の中のメダカなりが動き回っていてもぶつからない、また鳥の群れなどが一体になって旋回しているのも、微妙にお互いの空気を読みあっているからです。
ごくまれに他人を無視して肩をぶつけるようにして我が方向に突進している人がいますが、これが空気読めない人、メダカでも知っている生物の基本動作を会得してない「発達障害」の人?といえます。

そして発達障害者の兆候が多分に霊的兆候であることも、孫から感じることです。
思い通りにならない時にひっくり返って泣き喚くときの凄まじいエネルギーは何かが憑りついたとしかみえない。草を薙ぐ猛烈な回転する刃のように、こちらをへとへとに傷つけるエネルギー。こうなると抱きしめてそれが去るのを待つしかない。そしてふっと離れるように、くすんくすん泣きながら穏やかになる。「去った!」と長女と私はほっとするのです。
自分と似ている、と長女は言いますし、たしかにそのケのある娘で大変だったし、娘・孫ともに憑依体質といえるでしょう。

逆に強烈な右回転の人というのもいて、これは女性に多い。
「わたし!わたし!」の自分が女王様の人で、自分がすべて取り仕切らないと収まらず、ちょっとでも批判しようものならキチガイのようにヒステリーを起こし、このときのネガティブな漏斗状に人を巻き込む渦エネルギーも凄まじい。このタイプに過去3人出会い、ボロボロになりました。このタイプを「脱命者・だつみょうしゃ」というらしく、人の命を削る人たちで、実際病気になった人も知っています。

ふっとばし薙ぎ倒すタイプ(ネガティブな男性性)も、渦に巻き込むタイプ(ネガティブな女性性)も、一種の発達障害といえるかと。ふたつの螺旋のバランスが極端に偏ったひとたちです。

文明の左回りのエネルギーが右回りエネルギーと衝突して云々ということに、何故衝突するのか?という疑問をもっていました。
衝突しないでメビウスの輪を完成する方法は無かったのか?

8の字のエネルギー交換の交点を、私はククリ、と考えてきました。
ククリ姫?の御働きの発動する場所、時間帯です。

8の字とは、電流の周りに生じる磁場と解しています。
これは左回り(生成発展)と右回り(中心への回帰)の螺旋からなるエネルギーフィールド。
万物とは磁場そのものでもある。その中心を、縦に、電流(神)が貫いている。

私は「憑りつかれたように美術品なりを収集する人」とか骨董愛好家の気持ちというものを解することが出来ないため、またも御記事と関係ない方向になってしまいました。

なにはともあれ、サヴァン症候群にみられるように、発達障害の人たちがとてつもないものを創造できる天才たちであることも、不思議なことです。
返信する
アスペルガー症候群 (すずたま)
2016-10-27 23:56:56
何というか、吉田様という方の人格が、興味深いです(失礼な言い方ですみません)。
常軌を逸するまでの、と言ったらいいのか上手く表現できませんが、とにかく天才的なものを持った方、とは思ってきましたが。

私の5歳の孫は「広汎性発達障害」と診断されています。まだ子供なので例えばアスペルガーなどと特定はできませんが、まあ遠からずの精神疾患です。孫の場合「多動性自閉症」の面が強く、異常に活動的でじっとしていることができませんが、興味のあることへの集中力は天才的です。まあ育てるのに母親はほとんどノイローゼ状態でしたが。
今はそういった障害がよく研究され幼稚園では何と1人専任の先生が付いてくれる手厚さ。またそれくらいでないと集団生活が無理。来年小学校ですが、特殊学級に入るみたいです。まあこういう子を社会で育て伸ばしていくと理科系などで優秀な研究者が出て、日本の国力を高めてくれそうな感じがありますけどね(呉音神様の時代になればよけいに必要な人材?)

多動性自閉症の子供と一緒にいると、「強い左回転のエネルギー」を、私は感じるのです。
いつも意識が外側というか前方に向いていて、がーっと回転していて、例えば刃が回転式の草刈り機(そんなのがあるかな?)で草をなぎ倒していくような波動があって、一緒にいるだけで疲れます。(草薙の剣もそんなエネルギー???)
これはもう電気的な範疇の話で、「右ねじの法則」でねじを締めるのが右巻き、これはこころの内側に内向していくときなどに、自然に精神が右回転で中に降りていく感じが私は実感としてあり、これは発展とは逆の、「回帰」。
物質文明が発展した時代の文明推進のエネルギーが左回転なのは、だから電気的に納得しちゃいますね。
(半島からUターンした辛嶋氏は、日本に回帰しようとしたわけ?)
バイクとか走らせる人の心境ってそもそも左回転性の強い前方方向への疾走をしていて、だから左カーブの方が右よりやりやすいはず。
左回転は男性的螺旋。
女性的螺旋は内へと向かう右回転。
(左螺旋のヤマトタケルと右螺旋のオトタチバナ姫・・・)
どちらが強いかの話であって、本当は両方が組み合わさってメビウス状なのだと思いますが。

ところで私の上司は一方面へのこだわり強いためほかがおろそかになる困った人なので、アスペルガーと噂されていますが、私もハンコ押し忘れとかのつまらないミスが多いので「アスペルガーなんでごめん」と言ってごまかしていますが、あなたは違うでしょうと慰めてもらってます。まあ空気は読めますから。
吉田様が短期記憶がだめとおっしゃっていましたが、私にとって切符を何処かにしまうなどの日常行動は「無意識」の範疇であって一瞬の短期にすら記銘されないし、何か「本人にとってはもっと大事なこと?」を考えているつもりのために、そうなってしまうのですが。
例えば介護現場では良い介護を心掛けるとかいった本質的なことにある程度「こだわり」があり、記録書いてハンコ押すなんて私の中では非常にどうでもいいことなので、脳がそんなの無視しちゃうのですね。

・・・重症ではないものの軽いビョーキの人間の、閑話休題的つまらないコメで、まことに申し訳ありません。
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