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小6以上向けの「江戸の町・上」は家康の江戸入りから明暦の大火までの図解本

2020年03月14日 | 斜読

book507 江戸の町 上 内藤昌・穂積和夫 草思社 1982  斜読・日本の作家
 1980年代ごろ、まちづくりや巨大建造物を子ども向けに分かりやすく解説した図解本が流行した。子育て中だったから、さっそく10数冊購入した。その一つ、「日本人はどのように建造物をつくってきたか」シリーズは小学6年以上が対象だった。まだ低学年だった子どもには難しかったようで、私が読んだあと、本棚に並んだままになった。

 近年の城ブームで江戸城がよく話題にあがる。家康や江戸城下もテレビなどで取り上げられる。「家康、江戸を建てる」(book482)も興味深く読んだ。思い出して、ほこりをかぶった「江戸の町 上下」を開き、江戸のまちづくりがとても分かりやすく解説されているのに気づいた。建築史・都市史を専門とする内藤昌(1932-2012)氏の力量であろう。穂積和夫(1930-)氏のイラストも想像力を補ってくれる。

 上下巻の表表紙裏、裏表紙裏に、第1次建設1602年慶長7年ごろ、第2次建設1608年慶長13年ごろ、第3次建設1632年寛永9年ごろ、第4次建設1644年正保元年ごろ、1632年寛永9年、1670年寛文10年、1849年嘉永2年~1865年慶応元年の江戸図が掲載されている。この図を見るだけでも江戸の「の」の字型の発展、城下の拡大し、河川や水利の拡充の様子が分かる。図の説得力である。
 本文はB4サイズ257×364より一回り大きいサイズで、見開きごとに解説がまとめてあり、解説にあわせた大判のイラストが描かれている。解説を読む前にイラストが目に入るので、理解が早い。

 上巻ははじめに  から始まり、江戸の原風景  で、もともとの武蔵野台地は5つの小台地、沼、入り江などで構成されていた、太田道灌の江戸城  で、室町時代、関東管領上杉定正の重臣太田道灌が最初の江戸城を築くが、まだ地形には手をつけていない、と指摘する。
 小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉により、徳川家康は駿河・遠江・三河・甲斐・信濃と北条氏の関八州を交換させられ、江戸入りするのが徳川家康の江戸入り 、続いて都市計画の原理・土木工事の開始・町割りの基準  で、家康は四神相応の原理に基づき城下を構想し、土木工事に着手し、武家地、寺社地、町人地の町割りを進める。
 道三堀のにぎわい・江戸開府・「の」の字型大拡張計画・江戸湊の整備  と江戸の発展の伴い、四神相応の原理から「の」字型の拡張へと移行する。
 江戸城の構築は、伊豆の採石場・木曽山林の小谷狩り・材木の輸送・江戸町中の運搬・江戸城の石垣積み・環立式天守の設計・大天守の作事  に描かれ、大阪城をしのぐ環立式天守が解説される。
 大坂の陣・徳川家康の死  のあと、2代将軍秀忠、3代将軍家光は神田山の切り通し・江戸城総構えと見付け門・江戸城完工・江戸城本丸御殿・江戸城天守  を次々と完成させる。総構え図、本丸御殿図、天守は内藤+穂積の傑作である。
 城下には城下の大名屋敷・武家屋敷  が整い、一里塚と伝馬・江戸湊・魚河岸・上水道・町屋の建設・職人町・江戸の町並み・商人町・木戸・自身番屋・高札場  と町並みも発展する。
 人々の暮らしが落ち着くと、寺社のにぎわい-浅草寺・上野寛永寺・山王社・神田明神と天下祭り 、さらに銭湯と遊郭・芝居  が盛んになり、かぶき者  が現れ、天下太平の世になるが、1657年の明暦の大火 で城下が火の海になり、天守炎上  する。
 巻末に専門知識の解説が付記され、上巻が終わる。家康が江戸に入った1590年から1657年の170年ほどが上巻になる。 続く

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