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2003 スリランカのドライゾーンでは巨大なため池ネットワークで紀元前にシンハラ王朝成立

2017年08月26日 | studywork

「スリランカのドライゾーンにおける水共生術」日本建築学会2003年度大会

1 はじめに  日本建築学会2002年度大会で、「スリランカのヴァナキュラー建築における環境共生術」と題し、ポロンナルワを事例とした貯水・配水システムとヴァナキュラーな住まい方を報告した。

 スリランカは北緯6°~9°に位置する島国で、島の北側は10月~1月に吹く北東モンスーンの時期に集中して雨が降り、ほかのシーズンはまったく雨が降らず、ドライゾーンになっている。にもかかわらず、紀元前3世紀には島の北側に位置するアヌラダプーラ、その後、同じくドライゾーンのポロンナルワ、クルネガラなどを都とするシンハラ王朝が栄えた。その背景には、高度な潅漑貯水システムがあり、いまでもこの潅漑貯水システムが、都市、農村の生活水、農業水をまかなっている。
 一方、島の南側は年間を通して雨があり、ウエットゾーンとなる。16世紀に進出したポルトガル、その後のオランダ、イギリスは島の南西海岸に拠点を築き、ウエットゾーンを開発した。
 スリランカが独立したのは1948年で、こうした潅漑貯水システムと、この潅漑貯水システムと一体をなす生活スタイルについての調査研究はまだ蓄積が少ない。本稿は、ドライゾーンに位置するアヌラダプーラを対象とした潅漑貯水システムとキリクラマ村(Kirikkulama)の水利用についての事例報告である。調査は2001年3月、2002年8月、2003年3月に行った。

2 ドライゾーンの水供給システム
  アヌラダプーラあたりは年間で約1100mmの降水があるが、そのほとんどは10月~1月に集中し、ほかのシーズンは降水がない。市街に水を供給するヌワラ湖(現地ではNuwara wewa、以下すべて人造湖)は1/100万の地図にも表記されるほど大きく、湖面の最長はおよそ5kmになる。ヌワラ湖は標高およそ300mに位置し、3方が丘陵で、市街側の1方におよそ5mの堤防を築いて貯水する。

 ヌワラ湖の南東、約11km、標高350mほどにナッチャンドゥワ湖(Nachanduwa wewa)がつくられている(次頁写真)。湖面の最長はおよそ8kmで、3方が丘陵地に囲まれ、1方に高さ10mほどの堤防を築いて貯水する。
 さらにナッチャンドゥワ湖の南、約27kmにケラ湖(Kela wewa)が位置している。標高はおよそ420mで、湖面の最長は9kmに及ぶ。やはり3方が丘陵地で、1方に高さ20mに近い堤防が築かれている。
 この巨大な3つの人造湖は水路で結ばれていて、ケラ湖→ナッチャンドゥワ湖→ヌワラ湖と水が供給されていく(右中が水路ネットワークモデル図、図の上が北、標高は図の下が高い)。この3つの人造湖・水路ネットに、同様の仕組みをもつ水系や、水路の途中につくられた小規模な人造湖が連鎖していて、全体で複合的な水供給システムが構築されている。
 その一つ、ナッチャンドゥワ湖とヌワラ湖のあいだの水路沿いにつくられているキリクラマ湖(Kirikkulama wewa、標高330mほど)を例に、水の流れを調べた。ナッチャンドゥワ湖には3つの水門・水路が設けられていて、その一つがキリクラマ湖に向かう。この水路の途中には小規模の水門・水路がいくつか設けられていて、田んぼに水が落とされる。田んぼは低い方に向かって区画されていて、田んぼの水は順次、低い方の田んぼを潤していき、最終的にはヌワラ湖に入る。模式化すると図になる(右下が水系・土地利用モデル図)。
 スリランカ・ドライゾーンでは、紀元前からこうしたわずかな雨量の水であっても複合的な潅漑貯水・水供給システムにより、水を余すことなく集め無駄なく活用する仕組みが行われてきた。地勢と雨水の流れを正確に読み取り、人造湖、水路、田んぼを的確に配したすぐれた環境共生技術といえる。

3 集住のかたちと水利用
  丘陵地、人造湖、水路、田んぼからは地下浸透があり、伏流水の流れができる。キリクラマ村などの集住地は、人造湖→水路→田んぼ→の水系の比較的近くに形成され、ドライゾーンであっても湿気があり、緑が多く、生活水に水路の水や伏流水の井戸が利用される。伏流水は地層の中に何層かあるようで、浅い井戸は水質が悪かったり、乾燥時に水涸れをおこす。そのときは、水涸れのない、水質のいい近所の深い井戸の水を分けてもらう。つまり、集住地の立地は、地下の伏流水系、言い換えれば地上の人造湖→水路→田んぼの水系によっている。キリクラマ村の場合は、ナッチャンドゥワ湖からキリクラマ湖に向かうおおむね東から西向きの水路に沿った平坦な土地に集住地が位置する。

 宅地は、おおむね東西方向の道路を中心に、道路北側と南側に短冊状に連続する。宅地の幅は30mほどが多く、奥行きは100mをこえる場合もあるほど深い。宅地内の配置、住居平面は、道路を中心にして対称で、北側、南側ともに道路側に樹木や生垣、道路から10mほどの奥に主屋、主屋の裏手に井戸、さらに菜園、空き地、樹木などとなる(街並み図参照)。
 主屋は道路側にポーチ付きの入口、続いてリビングルーム(サーラヤ)、サーラヤに面して個室となるニダナカーマラヤが数室、サーラヤの奥に台所(クッシーア)の構成で、多くは台所を棟続きの別棟とし、物置が備わる。
 街並み図右下の住居L(写真、外観)の住み方と水利用を紹介する。住居は主屋の前側と後側の付属屋を並列させ、屋根を二棟にしている。二棟のあいだには谷樋を入れ、下に溜め枡をつくって、雨水を溜めている。主屋の斜め右裏手に井戸があり、斜め左奥にトイレがおかれている。家族は5人、両親と娘3人だが、娘2人はニゴンボで働いているため、ふだんは3人暮らしである。入口を入るとサーラヤ(家族が集まったり客をもてなす)である。サーラヤの北側、南側に2室ずつのニダナカーマラヤがあり、南・入口側を父、その奥をニゴンボにいる次女、北・入口側はニゴンボの長女、その奥を母と三女が使用する。谷樋が通るあたりが食事室に使われ、付属屋の井戸側の部屋がクッシーアになる。
 Lさんを始め、キリクラマ村の田んぼはキリクラマ湖の近くにあり、キリクラマ湖または水路から水を取り入れる。Lさんは庭でバナナ、果物をつくっていて井戸の水を使い、野菜は宅地の裏を流れる水路の水を利用する。一方、生活水のほとんどは自分の井戸を使うが、水質がよくないため飲料水は隣の井戸を借りる。また、沐浴や洗濯は、水路に架かった橋のたもとが共同の水場になっていて、Lさんを始め村の人が共同利用する。混み合っているときは、水路の別の水場やキリクラマ湖沿いの別の水場が利用される。
 キリクラマ村では、宅地の配置は道路→主屋→付属屋→菜園・井戸、間取りは道路→入口→サーラヤ→ニダナカーマラヤ→クッシーアと、道路を中心とし対称形で連続し、集住地を形づくる。住み方はほぼ共通し、水利用はナッチャンドゥワ湖からの水路とキリクラマ湖の水を相互扶助、共同利用していて、地域コミュニティをなしている。

4 おわりに  ドライゾーンではモンスーン季に集中して降る雨を人造湖に集め、人造湖を水路によって複層的に連続させて農業水、生活水を確保している。集住地は人造湖・水路の水系を基盤に形成され、水の相互扶助、共同利用によって農業、生活をなしている。こうした複層的な人造湖+水路が自然に広域的な社会と環境共生の認識をつくり出し、さらに、集住地の水系に沿った一体的な空間構成と共通した住み方、日常的で直接的な水の相互扶助、共同利用が濃密な地域コミュニティと水共生の意識を形づくっていると考えられる。しかし、水くみの大変さ、水質・水量の不安、都市的な住み方指向の課題も顕在化しつつある。

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