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2009.9 ラトビア5 リガ旧市街を歩く/海鮮ヌードル・ヤーニスの中庭・三人兄弟の家

2020年04月17日 | 旅行

2009.9 バルト3国の旅 ラトビア5 リガ旧市街を歩く   

旧市街を歩く/夕食は海鮮ヌードル
 いつの間にか日が暮れてきた。19:00に近い。ホテルに帰りながら夕食処を探すことにした。市庁舎広場~聖ペテロ教会~聖ヨハネ教会を目印にしながらカレーユ通りに戻る。テアトル通りに曲がる角にガラス張りのモダンなガレリア・センターGalerja centrsが建っている(写真)。

 ガラス越しに雰囲気のいいレストランdADaが見えた。若い人が談笑しながら食事をしている。ガレリア・センターはショッピングモールのようで、人通りも多い。安心できそうなので、dADaに入った・・念のためwebで確認したら閉店していた・・。
 先客に倣って、まず器を選ぶ。大中小があるから、器の大きさで料金が変わるようだ。中ぐらいの器を指で示し、石貼りのカウンターに並んでいる下ごしらえした食材から野菜、海老などの海鮮、肉、ヌードルなどを指さすと、カウンターの向こうのスタッフが手際よく炒めてくれ、選んだ器に盛りつけてくれた(写真)。
 窓側の席で外を眺めながら海鮮ヌードルをいただいた。日本の焼きそばに似て食べやすく、味付けも炒め具合もよかった。ビールと合わせ二人で10.5Ls≒2000円、クレジットカードで支払った。海鮮ヌードルは700円ぐらいで安いし、美味しいし、店もモダンな雰囲気なので、若い人の出入りが多いのがうなずける。

 帰る途中、ミニショップを見つけ、ミネラルウォーターと缶ビールを買った。1.28Ls≒240円だった。物価の安さは経済が安定していることをうかがわせる。
 20:30ごろ、ホテルに戻る。部屋は広めで2個のスーツケースを広げてもゆとりがあり、くつろげる。
 缶ビールを飲みながら地図を広げ、明日の歩き方をイメージする。歩数計は13500歩、フリープランは天気と足が観光を左右する。バスで足をマッサージし、ベッドに入る。

旧市街を歩く/リガ市章・ヤーニスの中庭
 リガ2日目、5:00過ぎごろ、トラムの音が響き、目が覚めた。外は雨模様で、薄暗い。もう一度横になり、7:00に起きる。曇り空になった。窓の外は14℃、湿度74%で肌寒い。巨大なレストランで朝食を取りながら、今日の行程を整理する。
 9:30ごろ、薄日が射しだす。折りたたみ傘、ミネラルウォーター、ガイドブック、地図、コンパスなどの常備品をバッグに入れ、ホテルを出発する。
 昨日歩いたテアトル通りから、カレーユ通りで右に曲がり、昨日とは違う赤レンガアーチの通り抜け路地をのぞく(写真)。
 アーチの上にリガ市章の彫刻がはめ込まれている(写真)。
 左右のライオンは都市の強力な基盤と市民の勇気、中央の2本の塔は都市の自治、城門の中のライオンは市民の勇気、城門の上の2本の交叉した鍵は教皇と聖ペテロ、その上の十字架と王冠は司教への従順を象徴するそうだ・・このあとリガ市章を何度も見た、市章は市民の誇りを表しているようだ・・。

 アーチを抜けた先はヤーニスの中庭Jana Setaである。ヤーニスJanaはヨハネに由来し、ここは聖ヨハネ教会の一部だったそうだ。
 13世紀、アルベルト率いる十字軍がリガを制圧し、アルベルトを団長とするリヴォニア帯剣騎士団が創設されたころ、レンガ積みの城壁が築かれ、聖ヨハネ教会が建てられた。
 その後の街の発展や戦禍、教会の拡張・改修や大火を経るうち城壁は壊れ・・建材はほかの建物へ転用されたか?・・、そのまま放置された。20世紀に入り城壁の復元が進められ、1960年に20mほどの城壁がヤーニスの中庭として公開された(写真)。
 城壁上部の回廊は武装した兵士が弓や鉄砲を構え、前掲写真上部の狭間から敵を狙ったのであろう。

 17世紀の大火災後、修復、再建のためリガに来る農民は石を持参するよう義務づけられたとの説がある。復元されたヤーニスの中庭の石は各地の農民が持参したため種類、色合い、大きさがまちまちらしいが、歩いているときはまったく気づかなかった。
 ヤーニスの中庭を抜けると、聖ヨハネ教会、聖ペテロ教会、ブレーメンの音楽隊像など馴染みのあるスカルニュー通りに出る。

旧市街を歩く/ドゥァマ広場~三人兄弟の家
 スカルニュー通りSkarnu ielaに続くスキュニュー通りSkunu ielaを北西に進むと、ドゥァマ広場=大聖堂広場Doma laukumsに出る。
 石畳の大きな広場で、西側に赤レンガの大聖堂が建ち、他方をルネサンス様式、バロック様式など、中世風の建物が囲んでいる(写真)。大聖堂は、後述するが、ロマネスク~ゴシック~ルネサンス~バロック様式が混在している。
 街の発展に応じて新しい様式が採用されたのか、あるいは戦禍、大火後に新しい様式で再建されたのか、どちらにしても新しい様式を採り入れる前向きさがうかがえる。

 大聖堂でオルガンコンサートを確認し、チケットを購入してから、イェーカバ通りJekaba ileaを北に歩く。

 左のマザーピルス通りMaza Pils ielaに入ると観光名所の三人兄弟の家Tris Braliがある。遠くからも外観のユニークさが見て取れる(写真、web転載)。3棟は年代を追って別々に建てられた集合住宅だが、一番左が長兄、真ん中が次兄、左が末っ子のように見えることから、三人兄弟の家として観光名所になったらしい。
 長兄は15世紀後期ごろでもっとも古く、ファサードは階段状破風=英語stepped gableで、窓の小さいゴシック様式、玄関前にテラスが在り、玄関脇に石の腰掛けが設けられている。
 次兄のファサードは丸みを帯びた段状破風で、外壁上部に1646年、彫刻の施された石の玄関上部に1746年と記されている。外壁はマニエリスム=後期ルネサンスの影響を受けている。
 末っ子はファサードは長兄、次兄に比べると簡素で、建物の幅も狭いが、窓税?が無くなったため窓は大きくなっている。17世紀後期ごろ、バロック様式の時代だが、外観にはバロック様式の派手やかな装飾は見られない。

 次兄の1階は建築博物館として公開されている(写真)。パネル展示もあるが、当時の建物のつくり方や部屋の雰囲気が分かる。裏扉の先は石敷きの広い中庭になっている。両側は建物が連続しているので、中庭は採光通風のために欠かせないし、近所づきあいの場にもなったのであろう。
 続く(2020.4)

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